2015年5月15日金曜日

6.27差別・排外主義にNO! 番外討論会


 全国各地で、また街頭・地域・メディア・議会の各レベルで、ヘイトスピーチ・ヘイトクライムとの闘いが取り組まれています。個人や集住地域を直接狙う卑劣な嫌がらせ、あるいはネットや書籍を通じて垂れ流されるスピーチによって、在日コリアンを始めとする在日外国人の生活とアイデンティティが脅かされている事態。これを許すことはできません。私達「差別・排外主義に反対する連絡会」も、微力ではありますが、これらレイシズムとの闘いの一翼を担うために活動してきました。

 この国でレイシズムを生み出している土壌は何なのか、カウンターを始めとする今までの闘いは何を切り開いてきたのか、それを発展させるために何が必要か、そしてヘイトの法的規制をどう考えるか等々、諸問題を私達は内部で論議を重ねました。そして、その成果を『開かれた討論に向けて-私たちからの提案』という文書にまとめて公表(※)するとともに、3月7日に討論集会(「3.7差別・排外主義にNO!第4回討論集会」)を開催しました。
(※当会発行『Milestone-里程標№3』所収。当会のブログからご覧いただけます)

 今回、この『提案』に対して多くの方からご意見・ご批判をいただきたいと思い、第4回討論集会に引き続いて討論会をもつことにしました。

 私たちは、レイシズムの圧力にさらされる在日当事者の立場に立つことを一番の基本に据えた上で、レイシズムと闘う多くの人とともに今後の運動を進めていきたいと考えています。そのためにも、この『提案』をいろいろな方々の声で発展させたいと思っています。様々な方からのご意見・ご批判を募集中です!ぜひこの討論会にご参加下さい。

日時:6月27日(土) 開場17:45 開会18:00
場所:大久保地域センター 会議室A
     新宿区大久保2~12~7 TEL. 03(3209)3961
JR新大久保駅徒歩8分 地下鉄副都心線・大江戸線東新宿駅徒歩8分
→こちら

主催:差別・排外主義に反対する連絡会
東京都港区新橋2-8-16石田ビル5F 救援連絡センター気付

開かれた討論に向けて――私たちからの提案

(1)「連絡会」のこれまでの共有点と私たちを取り巻く情勢

 私たち「差別・排外主義に反対する連絡会」(以下「連絡会」)は、次の三点の方針に基づいた防衛活動を、これまで主軸として活動してきました。
 第一に、大衆運動としての社会的包囲網を形成することによって<在特会>(注※)を封じ込めること。第二に、<在特会>を生み出した日本社会の歴史的土壌を問題とし変革するために社会的包囲網を形成すること。そして、第三に当事者を尊重すること、すなわち、当事者が置かれている立場を理解し、運動を学び、当事者と共に闘う立場に立つこと。
   ※<在特会>――本文では『在日特権を許さない市民の会』のみでなく、街頭で差別・排外主義言動を行い、それらをインターネット等で拡散させる団体・個人の総称とします。
その一方、2013年の新大久保での毎週に及ぶヘイトデモを受けて、現場カウンター行動がネットを中心に呼び掛けられ、反ヘイト行動の参加者は激増しました。そして、それと呼応して、メディアや出版物を中心にヘイトデモやヘイトスピーチへの社会的な関心が広がりました。このようにヘイトが政治問題化・社会問題化していく中で、2014年には国連人権委員会からの勧告が出され、諸外国から日本政府に対する批判的圧力が強まり、国内においても法的な対応が検討されてきています。
 しかし他方では、第二次安倍政権が発足し、その差別・排外主義的なナショナリズム政策が突出していく中、ネットやメディア、またそれにより形成された世論のもとで、「つくる会教科書」採択や尖閣諸島などをめぐる領土問題、靖国参拝など、差別・排外主義とナショナリズムが扇動され広がっていきました。

(2)開かれた討論の必要性

 そのようなめまぐるしい情勢の中で、私たち「連絡会」は、反差別・反排外主義・反レイシズム・反ヘイトスピーチの運動を前進させるために、『Milestone』読者の皆さんに、広く討論を呼び掛けたいと考えています。
 私たちは、これまでの数度に亘る内部討論会の過程において、私たちの中での一定の共有点と相違点を確認し、課題と論点を明確化させようと努力してきました。今回、その課題と論点を、未だ端緒に就いたばかりですが、提示することにします。「議論のための議論」に陥ることなく、実践による検証と総括、それに基づく議論の深化をこそ、と考えています。

【2】    日本社会の土壌の問題

(1)土壌の歴史
 日本帝国主義の侵略戦争と植民地支配。その過程で起きた虐殺、日本軍「慰安婦」、強制連行、強制労働、同化政策。それらを強行した天皇制のもとにあって、日本人は自ら「天皇の赤子」として身を置き、抑圧民族として存在しました。日本は戦争に敗れ、新憲法のもと戦後「民主主義」体制がスタートします。
 しかしそれは、天皇制や国家官僚の温存維持、侵略戦争・植民地支配についての自己批判(その責任)の放棄――それは、国家と国民の共犯関係であるとも言えます――から生じる、歴史認識に対する故意の忘却に基づく、欺瞞に満ちた体制でした。そのような体制のもと、同化と追放をコインの両面とした、指紋押捺制度に代表される「在日は煮て食おうと焼いて食おうと自由」という発想に規定された入管体制が存続し、在日は戦後「民主主義」の枠外へと置かれ続ける、そのような差別的な制度が維持されてきました。
 戦前の帝国主義・植民地主義を継承した差別・排外主義が、戦後体制として現在に至るまで継続されてきたのです。それは日本人が「抑圧民族であり続けている」ということにほかなりません。

(2)土壌の現在
 1990年代後半に、「新しい歴史教科書をつくる会」に代表される「右派市民運動」が胎動し、「慰安婦」問題を始めとする「歴史修正主義」を展開し、小林よしのりがそれを大衆化しました。1990年代における「文化人とマンガ」の結合は、近年における「<在特会>とネット」の結合と、相似形をなしています。石原慎太郎元都知事の数多くの差別発言と、それを容認する社会のあり様、そしてその後の歯止めなき社会全体の差別・排外的右傾化は、戦後民主主義体制の欺瞞性の本性が露呈し、具現化していく過程でもありました。
 その大きな表れが、少数派や「異端」者を攻撃する「バッシング」の激化です。そのターゲットは<在特会>がターゲットとしてきた人々・事柄と通底しています。小泉政権下での新自由主義・グローバリズムとそれに伴う格差社会が、とりわけ青年層の閉塞感を引き起こし、結果、その閉塞感は「鬱憤晴らし」として「自分よりも下」であると見なした人々へと向けられていきます。新自由主義・グローバリズムと国家の強権化や差別・排外主義化は一体です。
 つまり、グローバル資本主義体制のもとでの中国・韓国の経済的(あるいは中国においては軍事的)台頭に対する「国民」の不安が、差別・排外主義化と国家の強権化を要求し、結果、第二次安倍政権の登場を可能にしました。そうした過程において、日本社会は「慰安婦」、強制労働、戦後補償といった事柄をめぐる当事者の権利主張・異議申立をさえも「中国・韓国の台頭」と認識します。そしてテクノロジーとしてのネットが発展し、「ネット右翼」といった現象のもと大衆の心性に隠されていた差別・排外主義の意識が一挙に可視化したとき――「フジテレビ抗議デモ」など――その差別・排外主義が街頭へとなだれを打って登場していくことは、ことさらに新たな現象と言えるようなことではないのです。

(3)土壌の変革と<現象>を撃つ相互性

 歴史的過程に規定された現在の状況が<在特会>現象を生み出し、ヘイトスピーチを撒き散らすその土壌としてあるとき、そのような土壌を問題とし、その歴史的根拠と要因をえぐり出し土壌を変革すること。それはすなわち日本社会総体の変革を志向するということです。土壌が変革されなければ、<在特会>現象を封じ込めることはできない、しかし一方で、<在特会>現象を封じ込めることなくして、土壌を変革することもできません。いわば、両者は相互的な関係にあります。
 「土壌」が存在する以上、<在特会>に続く新たな「現象」が出現する可能性は大いにあります。田母神グループ、「日本会議」など、極右勢力の台頭は、ヨーロッパ諸国ではすでに現実化しています。だからこそ、私たちは、「モグラ叩き」には陥らないように、<在特会>現象を生み出した、この日本社会の土壌を変革する、その観点を維持しなければなりません。
 当事者の怒りを土台とした、その怒りに共鳴する広範な日本人民衆の立ち上がりこそが、差別・排外主義に反対する個別具体的な課題を、そしてその運動を、前進させる鍵であると考えます。

【3】    いかに闘うか

(1)ネットワークと社会的包囲網

 私たちは、<在特会>現象と闘う多種多様な団体・グループ・個人のネットワークが形成されることによる社会的包囲網の構築を目指しています。多種多様であるということは、各々の専念する事柄も、観点も、アプローチも、得意分野も、異なるということです。私たちとは別のあり方で<在特会>現象と闘う人々に対して、建設的な相互「批判」は行うが「否定」はしない、彼我の相違を前提として、相乗効果を生み出す関係性としてのネットワークの形成を志向しています。そのようなネットワークを創るには、その過程における相互の交流・討論が何よりも重要であると考えています。
 相互に学び、課題を整理し、実践し検証する、そのようなネットワーク化の過程に寄与することを目的として、私たちは、連続的に討論集会を開催し、この『Milestone』を定期刊行しています。多種多様な闘い方・戦術には必然性と必要性があります。そうした様々な領域に亘る運動が、現在の反ヘイトの闘いにおいて必要とされている、と考えています。

(2)「連絡会」の活動 

では、「連絡会」は、どのような活動を担うべきなのでしょうか。

①防衛活動

 「連絡会」は当初より、防衛活動をその重点的な活動として位置付けてきました。「慰安婦」、強制連行、関東大震災の際の朝鮮人虐殺、高校無償化からの朝鮮学校排除など、こうした運動課題は、歴史に根差した現在進行形の課題としてあり、同時に、日本社会の土壌変革の課題としてあります。そして、そのような個別的な運動課題は、<在特会>の当初からの攻撃のターゲットとしてありました。だからこそ、そのような集会・デモ等の貫徹のための防衛任務を担うことを、私たちは自身の活動の主軸として位置付けてきました。
 防衛活動においては、当事者との信頼関係の構築が前提です。歴史に学び、現実の闘いを共有することを通して、当事者が置かれている立場を理解し、当事者の立場を尊重する姿勢が必要です。主催当事者と共同の防衛活動を通して、当事者との信頼関係の構築とそれを軸とした社会的包囲網を形成していくこと。そのような方向性のもとに、防衛活動を担ってきました。

②カウンター

 2013年の東京・新大久保でのヘイトデモ、対するカウンター行動。「連絡会」は、<在特会>のデモに対しては、その暴走を阻止し、当事者である地域住民を防衛し連帯を表明するという観点に基づいて、防衛活動のひとつの形態として、カウンター行動の際の地域住民への(ヘイトデモ通過の周知とそれに対する私たちの見解・認識を記した)ビラの配布を行いました。
 「連絡会」もまた、ヘイトクライムの現場での対峙形態を「抑止・監視活動を超えた直接対峙」として位置付け実践していく必要性について議論してきました。
 (この文章では「<在特会>デモに対する、ネットで不特定多数に呼び掛けたうえでの直接抗議行動」をカウンター行動と指しています。)

 しかし、「連絡会」は、<在特会>のデモ参加者の暴走である「お散歩」に対しては、「お散歩」という暴力形態を阻止する実践的方針を立てきることができず、その評価と方針化・実践化の面で「立ち遅れた」と言わざるをえません。その点で、「お散歩」の現場において実力で対峙し、差別的・暴力的活動を阻止した「カウンター行動」を評価するものです。

 私たちは、上記の直接抗議行動としてのカウンター行動が、<在特会>の「お散歩」を阻止し、新大久保でのヘイトデモを継続不可能な状況へと追い込んだこと、またそのための多数の人々の行動参加を実現したこと、そして、その過程において、ヘイトスピーチやヘイトクライムの問題を社会化・政治化・国際化させる原動力となった点において、これを高く評価しています。
しかし、同時にカウンター行動の中には、次のような様々な問題が内包されているとも考えています。

(3)カウンター行動の課題

 日本社会の歴史的な土壌に規定された現在の「現象」とは、<在特会>現象をのみ指すものではありません。私たちは、現在のカウンター行動に内在するひとつひとつの具体的なあり様を、この日本社会の歴史的な土壌に規定された現象であるとして、その淵源にある土壌を変革する観点から検証していきたいと考えています。したがって、以下の提起は、カウンター行動それ自体を「否定」するものではなく、カウンター行動の前進と発展を企図してされているものであることを、改めて強調しておきたいと思います。

①差別言辞・行為
 <在特会>に対して、中指を立てて抗議する行為、また、性差別言辞や「障害者」差別言辞をもって抗議する行為がカウンター行動において見られてきました。直接ターゲットとなっている当事者はもとより、カウンター行動の中にも女性や「障害者」の仲間は多く存在します。その当事者にとっては、カウンター行動の中での差別言辞・行為によって、<在特会>らのヘイトスピーチと同時に、カウンター行動を取り組む仲間からのヘイトスピーチにもさらされていることになるわけです。
「慰安婦」問題は性差別の極致というよりほかなく、そのように歴史的事象が総括されないまま継続し再生産されている日本社会において、性差別や「障害者」差別は歴史的過程に規定された土壌として存在します。
②『日本の恥』という表現
 『(レイシスト在特会は)日本の恥』といった内容のプラカードがカウンター行動において散見されます。しかし、そのような主張は「レイシズムと無縁な民主主義vsレイシスト在特会」という誤った問題設定を導くものではないでしょうか。そうした主張においては、レイシズムは<在特会>だけの問題となり、私たち「日本人」が抱えている戦後「民主主義」体制に歴史的な土壌として存在するレイシズムは不問に付されてしまいます。
③『仲良くしようぜ』のスローガン
 『仲良くしようぜ』というスローガンが、カウンター行動において散見されました。最初にそのスローガンを掲げた在日当事者の意図を私たちは改めて捉え返す必要があると思っています。歴史的に「抑圧民族」であった日本人が、それを捉え返すことなくこの言葉を使うとき、「日本人は抑圧民族であり、在日当事者は被抑圧民族である」――この事実を不問とすることになります。そのようなスローガンの使用には、私たちは賛同することができません。抑圧民族である日本人は「足を踏んでいる者」です。その足を自らどかして初めて「仲良くしようぜ」と言える、そう「足を踏まれている者」に対して呼び掛けることができる、そうした可能性を模索することができるのではないでしょうか。
『仲良くしようぜ』と在日当事者に対して呼び掛ける前に、抑圧民族である日本人には、なさなければならないことが山積しているのではないでしょうか。それこそが、抑圧民族である私たち日本人の負うべき責任なのではないかと考えています。
④天皇主義右翼
 また、カウンター行動の隊列の中に存在する天皇主義右翼は、反レイシズム・反ヘイトスピーチの運動においては社会的包囲網の外部に位置する、と私たちは考えています。このことは、差別に通じる(問題が内在すると私たちが考える)表現がカウンター行動において見られるという①の問題とは位相が異なる問題です。「抑圧者―被抑圧者」という関係の中にあるという現実を、常に問われ続けながら、自らが捉え返していく中で認識していかなければならない。そうした課題がカウンター行動の参加者にも私たち「連絡会」にも内在する、ということです。
 私たちは、天皇制を支持し、日の丸を是とし、靖国神社を肯定する、そのような右翼との「共存」は成立しないと考えています。天皇主義右翼は、多種多様なネットワークの中における「相違点」を意味するものではなく、ネットワークにおいて「敵の敵は味方」のような主張のもとに容認されうるものでもありません。

(4) 私たちの議論――論点提起

 私たちが議論を重ねる中で出されたいくつかの意見を紹介します。これを私たちからの論点提起として、開かれた議論へと進めていきたいと考えています。

・カウンター行動は、反<在特会>運動における多様な戦術のひとつであり、すべてではない。社会的包囲網形成のためのネットワークの中で、「連絡会」の役割が何であるかを方針化することが先決であり、そのうえでカウンター行動を方針化するかどうかが導き出される。
・カウンター行動は、レイシストに対する抗議の意思を広く可視化させた。レイシズムを容認するのかしないのかを鋭く社会に問い掛けることを実現した。そして、レイシズム・ヘイトスピーチに対する反対の意思を具体的に直接表現できる場を街頭において創り出し、結果、カウンター行動参加者も激増した。眼前で繰り広げられている不正義極まりない状況があるとき、そのことに対して否!と声を上げ、阻止する行動があってこそ、社会的包囲網を形成することができる。
・地域住民すなわち当事者の声を尊重するべきである。「当事者不在の衝突」に陥らないように地域住民を軸とした陣形を作っていく、その方向性こそ重要である。「連絡会」は、そのサポート役を担うべきである。
・繰り返されるヘイトデモにより地域住民すなわち当事者が孤立無援の状態にあった中、日本人によるカウンター行動の登場は、一定の地域住民の賛同を得た。そのことに対する代行主義との批判は該当しない。
・カウンター行動において、「警察権力・機動隊を積極的に導入し、<在特会>を制圧させる」という方針を取ったということについて、「連絡会」の警察権力に対する姿勢や評価とは違いがある。警察権力の弾圧はカウンター側にも向けられており、介入阻止・対峙の姿勢が求められる。
・警察権力による介入・制圧によって結果的に<在特会>を阻止できた、という評価もあったが、カウンターの広がりやさまざまな創意工夫を持った取り組み、メディア・知識人・国会内外の社会的包囲網による力を見るべき。
・地域住民の陣形形成をサポートする。いわゆる左派潮流に対してカウンター行動への参加を訴える。一方で、カウンター行動参加者に対して「土壌」変革の重要性を内在的な批判として訴える。そのようにしてカウンター行動の前進と発展を目指す。
・「連絡会」の地域住民への周知ビラ配布活動、抑止・監視活動をも含めて――(ネット等で呼びかけた)直接抗議行動に限定されないものとして――カウンター行動を定義するべき。

【4】法制化の問題と課題

 ヘイトスピーチに対する法的規制、また基本法を含めた法的整備の問題について、私たちは次のように考えます。

 国連勧告の受け皿が現行の法制度において存在しないことは問題です。在日当事者の切実な思いを受け止めるべきだと私たちは考えています。だからこそ、法的整備の過程における主体としての当事者の参画が、立法府・行政府において実現されることを、私たちはまず何よりも第一に法制化の議論の前提と考えるものです。現在の立法府における議論は、スタートラインにさえ立っていない、というのが私たちの認識です。
たとえば私たちは、民主党政権下における「障害者」差別をなくすための法制定過程が、当事者を主体とした大きな運動を背景にして進められたこと、障がい者制度改革推進会議(委員25名のうち、14名が「障害」当事者やその家族)の下に「障がい者総合福祉法」制定への検討と骨格提言がされたにもかかわらず、結果的には国家官僚の意図により当初の理念を「骨抜き」にされた「障害者総合支援法」という当事者不在の法律として施行されるに至ったこと、これらの過程をつぶさに見ています。
 だからこそ、主体としての当事者が声を上げる条件を持たない、あるいは参政権すら有することのない現状において当事者不在の立法府で議論される――まして自民党のプロジェクトチームが国家権力の強権化をのみ意図して議論を行っている――そのような現在の法制化の過程の問題を措いては、私たちは、基本法の制定にも、まして罰則規定を含む実体法の制定にも、ただちに賛同することはできません。
 閣僚の大半が「日本会議」のメンバーであり、「慰安婦」問題に見られるように政府自らが「歴史修正主義」を国家政策の基本に据えようとしている安倍政権です。このような政権のもとでは、法的整備も大きく歪められると私たちは考えています。
 当事者主体の議論のもと法的整備が検討されるとき、スタートラインに立ったことになると私たちは考えています。そのときこそ、私たちはまず基本法の制定への賛同を、その是非を、国家権力の強権化の問題性――<在特会>のデモを不許可とせよ、公園や公民館の<在特会>による使用を不許可とせよ、といったスタンスや運動については、慎重に吟味する必要があると私たちは考えます――を踏まえたうえで、検討することになるでしょう。


       2015年2月20日


「拡がるレイシズムとヘイト~どう闘うのか~」 3.7差別・排外主義にNO!第4回討論集会報告

レイシズムと闘う人々の互いの意見や経験を共有・深化する場として企画している討論集会も、今回で4回目です。私達は、今回の討論集会のコンセプトを“シングルイシューを越えた反レイシズム・反ヘイトの社会的包囲網作り”に置きました。戦後70年=日韓条約50年の節目の年に、安倍政権が「改憲と戦争のできる国」作りへと突き進んでいることが、レイシズムを活性化させる可能性が大きい。反レイシズムを主な活動課題に掲げているわけではないが、しかし大きな関連性を共有している運動領域の人達と連携をとることによってそのような危機を突破したいと、私達は考えます。共に反レイシズム・反ヘイトの闘いを構築するために何ができるかを考えようという趣旨で、今回の討論集会を企画しました。

 パネリストとしてお話いただいたのは、川原栄一さん(ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワーク<略称:「のりこえネット」>)・新孝一さん(反天皇制運動連絡会)・武市一成さん(國學院大学講師)・藤田裕喜さん(「国連・人権勧告の実現を!」実行委員会)・堀純さん(部落解放同盟練馬支部)および当会メンバーTNです。

 上記の企画趣旨でプログラムを組んだわけですが、今回の討論集会は私達にとって、もう一つ大きな意味を持つものでもありました。当会では、反レイシズム・反ヘイトの闘いの現状と課題について半年間に及ぶ内部討論を経て、その成果を『開かれた討論に向けて-私たちからの提案』(※)という1本の文書にまとめて公表しました。今回の討論集会は、その内容を多くの人に提起して意見交換をする最初の場でもあったのです。当会メンバーからの発題はこの「提案」に沿ったものであり、他のパネリストの皆さんからはこの「提案」と噛みあった形での発言もいただきました。
※『開かれた討論に向けて-私たちからの提案』は、当会発行の『Milestone 里程標』第3号に全文掲載されています。ぜひご覧の上、ご意見をお寄せ下さい。
 まず、極右安倍政権によって国家主義的政策が強権的に推し進められている政治状況があるわけですが、それが社会レベルで深刻な影響をもたらしていることが、パネリストの皆さんのお話からよくわかりました。
 戦前的な価値観で政治を右に持っていこうとする安倍政権に対して、戦後の平和な価値観を象徴するものとして「リベラルな明仁天皇」を持ち出すことで対抗しようとする一部の知識人がいます。その動きには、危機の深さを感じさせられます。戦前的な政治に「平和な象徴天皇制」を対抗させることは、この国の排外主義・民族差別が天皇制による侵略戦争・植民地支配によって作られて、今なおその歴史が清算されていないという問題を曖昧にする危うさをはらむからです。
 また、自治体労働者の大きな左派系労働組合の幹部だった人間が、今はネット右翼になっているという話。地域住民の生活に密着した業務に携わることで市民の生活がよく見えるはずの人間が、人権を蹂躙する生き方に転落する。
 これらの話からは、社会総体が右に大きく傾いていることがよくわかります。また、部落解放闘争を担う人々の中にも、本人はそれを問題だと気付かずに外国人への差別発言をしている人もいるという厳しい現実からは、この社会に民族差別が拭いがたく染みついてしまっていることを感じざるをえません。
 さらには、地域社会が衰退して住民同士のつながりが希薄になることから生まれる住民の孤独感があります。その孤独感から、外国人への排外主義的な感情が地域に入りやすくなっている状況もあります。東京・大久保地域でのフィールドワークに取り組んでいる武市さんの指摘です。
 社会全体がレイシズムに浸食されやすくなっていることが、パネリストの皆さんのお話しから理解できました。

 この日、キーワードになった言葉が二つ。「日本の恥」と「仲良くしようぜ」です。両方とも、レイシストに抗議するカウンターの現場でよく見られる言葉です。
 レイシストに投げかけられる「日本の恥」という抗議の言葉は、ヘイトへの怒りが道徳的国権論に絡め取られる危険があります。「仲良くしようぜ」のプラカードは、民族差別を考えるにあたって重視 しなければいけない日本人自らの加害者性を曖昧にします。
これらの論点は、レイシズムやヘイトとの闘いが、一歩間違えれば天皇制や国家という政治の枠組みに吸収されかねない危うさがあるということを感じさせます。
 国家・天皇制・加害民族というのは、私達が否応なしにその枠組みの中に置かれてしまっている立場性です。そのことをきちんととらえ返して、これらの立場性をひっくり返す大きな方向性がないと、国家そのものがヘイト化する現状とは闘っていけないのではないかと感じさせられます。


 国家・天皇制・加害民族というのは、私達が否応なしにその枠組みの中に置かれてしまっている立場性です。そのことをきちんととらえ返して、これらの立場性をひっくり返す大きな方向性がないと、国家そのものがヘイト化する現状とは闘っていけないのではないかと感じさせられます。

 一方、別の次元からの見方も指摘されました。新大久保のニューカマー(新定住者)の韓国人で「(ヘイトは)日本人として恥ずかしい」という言葉はうれしいという人もいました。
 また高校無償化からの朝鮮学校排除を考える時には、「(そのような事態を許してしまっていることを)自分はやはり日本人として恥ずかしいと思う」という発言もありました。「仲良くしようぜ」のプラカードも、カウンター現場で最初に掲げる時には、「人と人の関係としてみようではないか」という意味でいい言葉だったし、激しい憎悪の現場では当事者に向けては意味のある言葉であるという指摘。
 これらは、いわば現場での直感的な感情でしょう。レイシズムと直面している現場で、人を行動へと動かして闘いを形作る感情があります。理不尽なものへの率直な怒り、人間としての連帯を求める本能的な欲求です。これらを外に向かって形にできる時、人は行動へと向かいます。国家・天皇制・加害民族という乗り越えなければいけない立場性と、それとは別次元の感情。その両者をどのように整理して闘いを作るのかを考えさせられます。
 異なる運動領域の人達との連携をどのように作るかという視点では、国連の人権勧告を実現する運動やインターネットテレビ配信を主な闘争手段とする運動の実践から、示唆を受けました。

 「国連・人権勧告の実現を!」実行委員会は、性的少数者への差別に反対するところから運動が始まって、他分野の活動をしている人達との出会いから活動領域を広げていきました。国連勧告の実現を政府に働きかけるという一点を運動の目的にしていることもあるのですが、そもそも異なる分野の活動が集まっているので、まずお互いを理解しようとする姿勢がなければ運動が成り立たない。それなので意見やモノの見方の違いが「(運動の)対立」にまでなることはないそうです。
インターネットテレビ配信を活動の柱にする「のりこえネット」は、できるだけ多くの人に問題を訴えることを主眼にします。「右に傾く日本を変える大きなうねりを作りたい」「右傾化する全体状況にまず反撃する」ということで、反レイシズムを基調としつつ、思想信条は問わずできるだけオープンに広げていく方法論を取ります。
 闘いの現場にはいろいろな人がいます。反天皇制運動連絡会や部落解放同盟にとっては天皇制右翼とどのような距離をとるのかが課題になります。そしてそれは、朝鮮・中国への民族差別の原因が天皇制国家による侵略戦争にあると考える私達にとっても、同じ課題なのです。「現場では喧嘩はしないが、共闘もしない」というスタンスが、ほぼ共通のものでした。

 最後に、あまり時間がなかったために論議を深めることができなかったですが、ヘイトの法的規制と表現の自由の関係についても話題になりました。
 表現の自由の枠で語ると差別の問題が見えにくくなるのではないか(パネリストの方は「回収されてしまう」と表現されていました)という意見や、何が差別かについて社会的合意が得られたものがあるので、それについては法的規制がされてもいいのではないかという意見が出されました。法的規制については、「表現の自由」の視点からではなく、差別問題の視点から考えた方がいいということだと思います。集会参加者は65名でした。