2015年12月26日土曜日

「差別・排外主義にNO! 11・21講演集会」報告


 去る11月21日、講師に崔真碩(チェジンソク)さんを招き、「ヘイトスピーチを越えて」をテーマとした「差別・排外主義にNO! 11・21講演集会」を東京で開きました。
 崔さんは韓国生まれの東京育ち。現在は、広島大学院准教授を務めながら演劇活動も行っておらます。昨年、ドキュメンタリーをテーマとした授業で日本軍「慰安婦」を扱った映画「終わらない戦争」を題材とした際に、不満を覚えた学生が講師本人にでも大学にでもなく産経新聞に投稿した結果、激しいバッシングを受けられました。当時から現在までの経過やその時々の思い等について語っていただき、質疑を通して更にヘイトスピーチへの取り組みの重要性を認識できた場になったと思います。
 まず司会から、当会の自己紹介を行い、次のような現状認識を示しました。
 ここ数年の間に、新大久保を舞台とした激しいヘイトデモはなくなりマスコミ報道も減った。しかし、ヘイト自体が沈静化したわけではない。ヘイトデモも場所を変えて行われており、先日は同日に東京・神奈川の3箇所で強行された。もはやヘイトを生み出す土壌が日本に一定程度根付いてしまったと認識しなければならない。制度的にも在日差別が残存している。更に、現在は安倍を筆頭としたヘイト勢力が権力を握っている。何かの契機で大規模なヘイトが勃興する状況にあるという危機感を抱いて取り組む必要がある。
 崔さんは、バッシングを受けた側がそれをどう乗り越えるか、相手と社会にどう向き合うのか、について話したいと始められました。まず、今回の件を「産経事件」と名付けて当事者としてこれまでの1年半を振り返るお話から始められました。
 05年に初めて教壇に立ったときから、腹をくくって慰安婦問題を題材としてきた。複数の講師によるオムニバス形式のドキュメンタリーに関する授業も今回で3年目。学生が産経新聞に実名で投稿したことにも驚いたが、講師も学校も飛び越えてマスコミに向かうという事例は教育史上前代未聞ではないか。その後に本人とはまだ短時間しか話せていないが、「ネット右翼」などとひとくくりにせず一人の人間として向き合っていきたい。記事の掲載については前日に担当記者から電話で通告があったが、まさか一面掲載とは思っておらず目にして驚いた。記者に報道によって起こる波及の重大性について検討するよう求めたところ、自分のコメントを正確に載せることにはなったが、それ以上の収拾は記者にもできなくなっていたようだった。組合もないスクープに飢えたチープな新聞社の中で身を立てるために自分を壊しながら仕事をしているという印象を、記者には持った。まだ実際には会えてはいないが、やはり「ネット右翼」「産経新聞」とくくらずに個人として向き合っていきたい。学生も記者も産経新聞も、所詮は権力に鉄砲玉として利用されている存在。小さな事件を大きく拡大する役割。今回の産経新聞報道は、構造的に朝日新聞バッシングのダシでしかない。しかし、この件について多くの人が沈黙を保ってしまった。この声を上げられない状況が恐い。大学は声明を出さなかった。財源を握る文科省の顔色を伺い、事なかれ主義を貫き沈黙した。組合さえ動かなかった。政治に関与すると分裂するという口実で、もはや賃金の話しかできない状態。但し、自分にとっては見殺しにされたということ。しかし、それを主張すると職場が分断されてしまう。これは権力の思う壺であり、避けなければならない。幸いまだ授業内容への干渉ができる状況には至っていない。もとより大きな数ではなかったが、今回の件以降に受講する学生の数は増えた。興味を持って臨む学生が相手なので授業も順調。ねばり強く闘っていく授業を続けて、職場関係も作り直していきたい。そもそもヘイト勢力は一握りでしかなく、むしろ沈黙する8割の大衆が怖い。この沈黙するマジョリティーに届く言葉を模索したい。手段としては非暴力を貫くが、これは暴力はいけませんなどという甘ったれた態度ではない。やってしまうと自分の魂が失われるように思える。怒りを失わずにやり返し続ける根拠にもなる。(この点に関しては、交流会で2名から異なる持論が提出された)。そもそも関東大震災での虐殺から100年間、日本の社会の中にこの空気が続いている。後ろから刺される恐怖・暴力の予感をずっと抱いてきて、半分死んだ感覚が続いてきた。そのため、ヘイトスピーチが出てきたときも冷静に受け止められたし、産経事件でも動揺はせずにすんだ。こういう背景を持った非暴力ということ。
 次に社会全体を俯瞰して、普遍的立場からヘイト問題を捉える話に移られました。
 ヘイトが発生する根拠として、日本の経済的な落ち込みによる「不安」がある。中国・韓国の伸張が輪をかけた。そのためのはけ口としてヘイトがある。「不安」と向き合えない部分がこれに乗る。アベノミクスもオリンピックも「一億総活躍(=一億玉砕)」も皆そのため。私が法務局から受けてきたこれまでの屈辱を、今日本人が受けている。劣悪な労働環境・国家ぐるみの年金詐欺・経済的徴兵制、まさに「在日日本人」。更には原発事故が決定的だった。東京の水は福島より汚染されているし、フクイチも再臨界状態。福島も首都圏ももうどうにもならない状態。戦争や侵略への抵抗は収束可能だが、放射能汚染はどうにもならない。権力者は「国体(天皇制)」護持のために、対策を取らない=汚染をなかったことにする道を選択した。これまでとはレベルの違う「不安」であり、はけ口の必要性は更に高まった。しかし、ソ連がチェルノブイリの5年後に崩壊したことを想起する必要がある。生き抜くためには「非国民」になるしかない。「不安」を冷静に受け入れ、分析して言葉にしていく必要がある。国家を抜きに、現実と向き合ってやり直す準備としての言葉。そうして、どうしようもないヘイトの連中とも回路を開く必要がある。国家暴力・圧力は共に受けている。それを言葉にして、今を乗り越えるきっかけにしなければならない。また、運命共同体である東アジアに日本を開いていく必要がある。国家や排外主義に絡め取られる「国民」にとどまってはならない。そこからはじかれる多数の人々も同じ「不安」を抱えていることに思いを馳せなければならない。
 この後、演劇人として、この日に話された思いを込めた詩を朗読された。最後にふたたび、3・11以降のやり直しの必要性と、「国民」を脱して隣人を内なる他者として内包する個人として立つ視点の重要性を確認された。
 更に休憩を挟んで質問に答える形で幾つもの補足がなされた。大学よりも公立中高の教員が置かれた過酷な状況=授業で政治に触れることができず萎縮・疲弊が進んでいる、天皇主義を超えようとする教員は特に潰されるし、かつて先鋭的であった広島でさえ同様の状況。歴史教育を受けていないが故に学生が歴史を継承していない現実、安倍登場から20年で何も報道されない社会になってしまったこと、この中でこれ以上権力に教育を殺させてはならないし未来への責任を取る道を探らなければならない。公立学校で通名を名乗っていた自分の過去を振り返り、周辺へと追いやられるが故に国家に向かうという自己を欺く過剰適応であったし、そのような自分を言葉で解体して生き直すありかたが今後も必要である。だまされることによって得られる平穏さ、それを進める形で上に頭を下げて弱い物を叩く、それにも通じるものがあるだろう。現在の日本の惨状は何よりも戦争責任を取らずに存続した天皇制に根拠を置いている、という形で全体を締められました。
 この後で参加者から、毎週金曜日に行われている朝鮮高校無償化排除への抗議行動への協力呼びかけ等が訴えられ、集会を終えました。
 この日の参加者は65名。その後に同じ場所で持たれた交流会には30名弱の参加者を得ました。

2015年11月9日月曜日

差別・排外主義にNO!11.21講演集会


「朝鮮人をたたき殺せ!」「在日特権を許すな!」という、聞くに堪えないヘイトスピーチ(差別扇動言動)をまき散らす在特会に見られる差別・排外主義勢力の動きは、一時期ほどではなくても依然として衰えていません。むしろ、安倍政権の長期化の中で、ますます日本社会に浸透、定着化してきています。
「安倍応援団」を自称する国会議員、文化人、ライターなどが差別言辞を繰り返していることからもそれは明らかです。
昨年5月、広島大学準教授の崔真碩(チェ・ジンソク)さんが、激しい差別的中傷、バッシングを受けました。「演劇と映画」の授業の中で、日本軍慰安婦問題を題材にしたドキュメンタリー映画『終わりなき戦争』を取り上げたところ、受講していた学生が「反日教育だ」と『産経新聞』に投稿したのがきっかけです。しかし崔さんはそうしたいわれなき攻撃にひるむことなく、学生たちの偏狭さの背後にある日本社会のあり方を告発し続けています。「ウシロカラササレル」感覚を抱きながらも、あえて「朝鮮人」を前面に出して日本人・日本社会にメッセージを発し続けている崔さんのお話を聞きながら、差別・排外主義をいかに克服していくのか、共に考えませんか?

崔真碩(チェジンソク)さんのプロフィール】
1973年韓国生まれ、東京育ち。現在、広島大学大学院准教授。テント芝居「野戦之月海筆子」の役者でもある。著書 『朝鮮人はあなたに呼びかけている―ヘイトスピーチを越えて』(彩流社)。
主な出演作「蛻てんでんこ」。
 

2015年10月15日木曜日

許すな!差別・排外主義 10・18ACTION の報告


 私たち「差別・排外主義に反対する連絡会」は、毎年秋に新宿・大久保地域で、差別・排外主義に反対するデモ行進をしています。今年も、10月18日に100名弱で歩きました。新宿駅の西口ロータリー・南口と新宿三丁目交差点、そして歌舞伎町地区をかすめてコリアンタウンである職安通りです。
 2011年に始まった取り組みも、今年で5回目になりました。「生きる権利に国境はない!私たちの仲間に手を出すな!」をメインスローガンに掲げるこのデモは、新宿・大久保の両地域で商業を営み、あるいは生活するさまざまな国籍の在日外国人の人たちに連帯をアピールするものであるとともに、新宿の街を行きかう人々に、排外主義 (レイシズム)との闘いに立ち上がることを呼びかけるものです。
 2012年から2013年は、コリアンタウンである新大久保商店街が、毎週のように排外デモの脅威にさらされました。カウンターと呼ばれる現場での抗議行動や反対世論の盛り上がりにより、今はこのデモは行なわれなくなっています。これは闘いの一定の勝利ではありますが、私たちはこの地域でのデモ行進を続けています。
 なぜなら、街頭でのヘイトは下火になったとしても、極右安倍政権の下で政府・国家レベルのレイシズムが強くなっていると考えるからです。第2次安倍政権が発足してから垂れ流されている右派政治家やそれに連なる文化人の暴言の数々は、ヘイトスピーチそのものです。私たちは、「ヘイトとの対抗というラインを越えて、(ヘイトを生みだす)歴史的土壌と対抗していく」(10.18当日の基調提起)という認識に立って取り組んでいます。その認識を共有してレイシズムとの対抗を共同で担える仲間を作りたい、そしてその仲間と共に歴史の審判に耐えうる連帯共闘を作っていきたいというのが、私達の想いです。この日のデモをそんな趣旨で企画しました。
 当日はその趣旨に沿って、「『高校無償化』からの朝鮮学校排除に反対する連絡会」「反天皇制運動連絡会」「『国連・人権勧告の実現を!』実行委員会」「辺野古リレー」「APFS労働組合」の5つの団体から連帯の挨拶をいただきました。さらに、ニコン「慰安婦」写真展中止事件裁判の支援に関わっている方からのメッセージもいただきました。
 皆さんが語られる内容からは、この国の政治そのものが差別・排外主義にまみれていること、それが社会のあり方に影響をおよぼしていることが、よく理解できました。そのそれぞれの発言・メッセージの趣旨をご紹介します。

☆「高校無償化」からの朝鮮学校排除に反対する連絡会
 2012年に発足した第2次安倍政権の初仕事が、高校無償化から朝鮮学校を排除するために、文部科学省の省令を改悪することだった。理由は「拉致問題の解決に進展がない中で朝鮮学校を無償化の対象にすることは、北朝鮮に誤った信号を送ることになる」という、極めて政治的なものであった。文部科学省のホームページには、この趣旨の説明がいまだに掲載され続けている。
 しかし、全国5ヵ所で起こされた裁判において、国を追い詰めている。
☆反天皇制運動連絡会
 SEALDs(シールズ)の中心メンバーの父親が、天皇制に反対しているということで週刊誌でバッシングを受けている。天皇制に反対することがまるで罪であるかのように扱われてしまう現実がある。
 しかし、天皇を媒介に統合されるのとは違った自律したさまざまな民衆運動が広がっている。今年の8.15反靖国デモでは、妨害を企てる右翼で埋まった歩道上で「安倍政権やめろ」というプラカードを掲げた人がいて、デモに声援を送っていた。

☆「国連・人権勧告の実現を!」実行委員会
 国連から日本政府に対して100以上の是正勧告が出されているにもかかわらず、日本政府は「従う義務はない」として無視している。しかし、国際条約は憲法の次に重視しなければいけないもの。国際的には、安倍政権は極右政権と認識されている。
 勧告を受けているさまざまな人権課題に個別に取り組んでいるそれぞれの運動が一緒に動くことでこの国のあり方を変えられると考えて運動を進めている。

☆辺野古リレー
 全国の0.6%の面積の沖縄に74%の米軍基地が集中しており、そこにさらに新基地を作ろうとしている。沖縄差別である。ゲート前のテントに、日の丸を掲げた右翼が襲撃してきている。国家は差別・排外主義を原動力として侵略戦争を行なっていくが、沖縄はその体制を作るための最前線になっている。絶対に阻止しなければならない。多くの人がゲート前に駆けつけてきてくれている。

☆APFS労働組合
 2014年、5,000人の難民申請があったが、そのうち難民として認定されたのは、わずかに11人である。政治難民が多くいるのに、「難民鎖国」といってもいい状況。一方で、シリア難民の写真を使った排外主義的なイラストが広がった。
 社会保険や雇用保険にも入れてもらえず、残業代も払われない。毎日の生活で差別されて小さくなって暮らしている人が非常に多い。使い捨ての労働力として酷使されている。国籍・文化・言語の違いを越えて、すべての人が平等に安心して生活できるようにしたい。

☆ニコン「慰安婦」写真展中止事件裁判の支援に関わっている方(メッセージ代読)
 2012年に、安世鴻さんの「慰安婦」写真展が、ネット右翼の妨害を恐れていったん中止になった。ヘイトスピーチがいろいろな所で展開されている中で、日本の負の歴史に向きあう表現の場を守ってくれたことが、支えになっている。
 脅迫を受けた時に、恐れてやらないのではなく、冷静に対処するように具体的な方策を考えることが、力になる。

 皆さんの挨拶からは、国連からの勧告を無視し続け(すなわち国際スタンダードに背を向け続け)、排外主義政策を取り続け、そして戦争政策を強引に押し進める政府の姿勢がよくわかります。デモの最中の警察は、例年にもまして過剰警備の態勢を敷いてきました。さらには、差別暴言を吐いた警官もいます。これらは、安倍政権の下での「国家のヘイト化」の一つの表れかもしれません。
 一方、今年のデモで特筆すべきことは、沿道ビラの受け取りの良さです。用意したビラがほとんど残りませんでした。今までの5年間で最高の受け取りでした。
 歌舞伎町をかすめる新宿区役所通りや職安通りは、在日当事者が多いこともあって、いつも受け取りがいいわけです。今回はこれに加えて、たとえば新宿三丁目交差点のような当事者が多いわけではない地区での受け取りのよさを感じました。
 また、小滝橋通りに近いあるビルの1階部分、そのフロアは一つの会社で占めているのですが、外に出ていたその会社の制服姿の労働者(すなわち、みんな仕事中ということ)のほぼ全員がビラを受け取りました。ビラを読んだ労働者が同僚と「当然だよな」と会話を交わしているのが聞こえてきました。
 「ヘイトを許さない!」という声が、街往く人々にとって抵抗感なく受け止められるようになったことの表れでしょう。さらには、政治が危険な方向に向かっていることへの危機感が、広く浸透していることの表れともいえるでしょう。
 また、1週間前の12日には、大久保通り・職安通り沿道の商店に、デモ行進をすることを知らせする予告ビラを配布しました。これも毎年やっている恒例の行動です。いつものように反応は上々でした。
 反応がダイレクトに返ってくるデモは、元気がでます。闘いは街頭で!

2015年9月15日火曜日

Stop Discrimination Now! 10.18 ACTION

10.18Action やつらを通すな NO PASARAN! 2015年10月18日(日) 集合13:30 出発14:30 場所 新宿柏木公園 新宿西口から徒歩5分





6.27差別・排外主義にNO! 番外討論会報告

6.27差別・排外主義にNO! 番外討論会報告





 今、差別・排外主義とどう闘うのか。前回の第4回の討論集会では、会の内部討論のまとめである『開かれた討論に向けて-私たちからの提案』を元に、パネリストの方々からご意見を頂き、会場の参加者も交えて議論を行いました。 今回は番外編として、多くの方々と引き続き自由に議論をし、そこで出された意見や課題を共有して、今後の取組みに生かしていく事を目的に討論会を持ちました。


 連絡会からは、はじめに3つの論点を提起しています。
  1つ目は「ヘイトを取り巻く状況」です。現在、〈在特会〉の「スケープゴート」化により政府・世論・国民が極右化しています。ヘイトスピーチが記号化されその実態が問われない中、この状況を変えるには、当事者の被害と向き合い連帯し、欺瞞の戦後「民主主義」(土壌)を根底から変えて、その筆頭である安倍政権を終わらせる事です。
 2つ目は「カウンター」についてです。「カウンター」(総称)の戦術転換(発展)として行政・議会・警察等への働き掛けや街頭以外への拡大がみられます。その中で「国家権力の強権化の問題性」が絡むものは「慎重に吟味」して対応する必要があります。
 3つ目は「法的規制」です。参議院に『人種差別撤廃施策推進法案』が提出されました。大阪市では『ヘイトスピーチへの対処に関する条例案』が提出されたものの継続審議となりました。法案の成立には、「立法化大衆運動」による世論形成が必要で、当事者主体の議論のもとに国家権力強化の問題性を踏まえつつ検討していく事が望まれます。


そして鵜飼哲さん(一橋大学教員)には、フランスのレイシズムとそれに対する運動について話をして頂きました。フランスは過去のナチズムや植民地主義の歴史から、レイシズムに関して表現の自由を優位に考える国ではないという事、公権力が様々なタイプのデモを禁止している為(抗告は可能)、運用の仕方については非常に多くの批判があるが、法律そのものがいらないという人は誰もいないというお話がありました。日本の『人種差別撤廃施策基本法案』で設置される「人種等差別防止政策審議会」は、フランスの『人種差別禁止法』での「国立人権諮問委員会 (CNCDH)」のように完全な独立性を求めていくべきであるという指摘もされました。

 審議会の独立性に関して、障害を持つ当事者の方からも、『(改正)障害者基本法』で定められた「障害者政策委員会」での政府による当事者排除、委員会の見解を無視している現状(精神病院の病棟を居住系施設に転換)の説明があり、法案で設置される審議会は、政府から独立しなければいけないとの発言がありました。

『ヘイト・スピーチ法 研究序説』(三一書房)を出版された前田朗さん(東京造形大教授)は、まず国家がヘイト団体に協力するのを許してはいけない、次にしかし同時に国家権力を強化してはならないという議論の順番ではないかと話されました。

 他の方からは、在日朝鮮人(コリアン)への被害調査で、当事者の生きる意味が失われているという事象があり、ヘイトクライムは犯罪なんだという規範がある事でヘイトはダメだと言える状況が必要という意見もありました。

 女性からの発言で、『男女雇用機会均等法』も賛否両論あり作られたが、平均賃金自体が全然上がらないし、女性差別はいけない事になったがなくならないといいうお話がありました。そして朝鮮学校襲撃事件について、裁判を闘う上で差?はいけないという法律が欲しいという切実な声があるのを受け止めていく必要があり、法律の問題がでているが力関係の問題で、運動の中でどうしていくかという事だと思うと話されていました。

 第1、第2の論点である現在の状況とカウンターに関連する意見では、カウンターや学生らによる戦争法案への反対運動が持つナショナリズムに対する批判もありました。議論するには、客観的に正確に事実関係等の情報の共有化がないとなかなか難しい、対案を出して説得していく他、実践や様々な取り組みの中で信頼を得ていく等の話がされました。関連して、「国益」を求めて行動する世界を根底から引っくり返さないとなくならない等の意見も出されました。

 カウンターとヘイト側を一番コントロールしているのは実は警察で、警察の力を宛てにする傾向が出てきているので、安易に国家権力のコントロールを招いてしまうという運動側の弱さへの指摘もありました。

 最後に鵜飼さんから、日本国家があまりに突出した方向にいき、 これは全体主義に他ならないもので、憲法の問題ももはや改憲派と護憲派の対立ですらなく、今日議論された、ここ数年ヘイトスピーチで起きている問題とよく似ているという話をされました。法制定の問題もあるが、最終的には我々の力を高めていき、我々自身の闘いとして貫徹できるかという事に尽きると締めくくられました。

 討論会全体を通して、法的規制に関する意見が多くみられました。

 当日に交わされた様々な意見を、今後の方向性や行動する上での基盤に組み込んで、ヘイトスピーチ、差別・排外主義との闘いを深化させていきたいと思います。

2015年5月15日金曜日

6.27差別・排外主義にNO! 番外討論会


 全国各地で、また街頭・地域・メディア・議会の各レベルで、ヘイトスピーチ・ヘイトクライムとの闘いが取り組まれています。個人や集住地域を直接狙う卑劣な嫌がらせ、あるいはネットや書籍を通じて垂れ流されるスピーチによって、在日コリアンを始めとする在日外国人の生活とアイデンティティが脅かされている事態。これを許すことはできません。私達「差別・排外主義に反対する連絡会」も、微力ではありますが、これらレイシズムとの闘いの一翼を担うために活動してきました。

 この国でレイシズムを生み出している土壌は何なのか、カウンターを始めとする今までの闘いは何を切り開いてきたのか、それを発展させるために何が必要か、そしてヘイトの法的規制をどう考えるか等々、諸問題を私達は内部で論議を重ねました。そして、その成果を『開かれた討論に向けて-私たちからの提案』という文書にまとめて公表(※)するとともに、3月7日に討論集会(「3.7差別・排外主義にNO!第4回討論集会」)を開催しました。
(※当会発行『Milestone-里程標№3』所収。当会のブログからご覧いただけます)

 今回、この『提案』に対して多くの方からご意見・ご批判をいただきたいと思い、第4回討論集会に引き続いて討論会をもつことにしました。

 私たちは、レイシズムの圧力にさらされる在日当事者の立場に立つことを一番の基本に据えた上で、レイシズムと闘う多くの人とともに今後の運動を進めていきたいと考えています。そのためにも、この『提案』をいろいろな方々の声で発展させたいと思っています。様々な方からのご意見・ご批判を募集中です!ぜひこの討論会にご参加下さい。

日時:6月27日(土) 開場17:45 開会18:00
場所:大久保地域センター 会議室A
     新宿区大久保2~12~7 TEL. 03(3209)3961
JR新大久保駅徒歩8分 地下鉄副都心線・大江戸線東新宿駅徒歩8分
→こちら

主催:差別・排外主義に反対する連絡会
東京都港区新橋2-8-16石田ビル5F 救援連絡センター気付

開かれた討論に向けて――私たちからの提案

(1)「連絡会」のこれまでの共有点と私たちを取り巻く情勢

 私たち「差別・排外主義に反対する連絡会」(以下「連絡会」)は、次の三点の方針に基づいた防衛活動を、これまで主軸として活動してきました。
 第一に、大衆運動としての社会的包囲網を形成することによって<在特会>(注※)を封じ込めること。第二に、<在特会>を生み出した日本社会の歴史的土壌を問題とし変革するために社会的包囲網を形成すること。そして、第三に当事者を尊重すること、すなわち、当事者が置かれている立場を理解し、運動を学び、当事者と共に闘う立場に立つこと。
   ※<在特会>――本文では『在日特権を許さない市民の会』のみでなく、街頭で差別・排外主義言動を行い、それらをインターネット等で拡散させる団体・個人の総称とします。
その一方、2013年の新大久保での毎週に及ぶヘイトデモを受けて、現場カウンター行動がネットを中心に呼び掛けられ、反ヘイト行動の参加者は激増しました。そして、それと呼応して、メディアや出版物を中心にヘイトデモやヘイトスピーチへの社会的な関心が広がりました。このようにヘイトが政治問題化・社会問題化していく中で、2014年には国連人権委員会からの勧告が出され、諸外国から日本政府に対する批判的圧力が強まり、国内においても法的な対応が検討されてきています。
 しかし他方では、第二次安倍政権が発足し、その差別・排外主義的なナショナリズム政策が突出していく中、ネットやメディア、またそれにより形成された世論のもとで、「つくる会教科書」採択や尖閣諸島などをめぐる領土問題、靖国参拝など、差別・排外主義とナショナリズムが扇動され広がっていきました。

(2)開かれた討論の必要性

 そのようなめまぐるしい情勢の中で、私たち「連絡会」は、反差別・反排外主義・反レイシズム・反ヘイトスピーチの運動を前進させるために、『Milestone』読者の皆さんに、広く討論を呼び掛けたいと考えています。
 私たちは、これまでの数度に亘る内部討論会の過程において、私たちの中での一定の共有点と相違点を確認し、課題と論点を明確化させようと努力してきました。今回、その課題と論点を、未だ端緒に就いたばかりですが、提示することにします。「議論のための議論」に陥ることなく、実践による検証と総括、それに基づく議論の深化をこそ、と考えています。

【2】    日本社会の土壌の問題

(1)土壌の歴史
 日本帝国主義の侵略戦争と植民地支配。その過程で起きた虐殺、日本軍「慰安婦」、強制連行、強制労働、同化政策。それらを強行した天皇制のもとにあって、日本人は自ら「天皇の赤子」として身を置き、抑圧民族として存在しました。日本は戦争に敗れ、新憲法のもと戦後「民主主義」体制がスタートします。
 しかしそれは、天皇制や国家官僚の温存維持、侵略戦争・植民地支配についての自己批判(その責任)の放棄――それは、国家と国民の共犯関係であるとも言えます――から生じる、歴史認識に対する故意の忘却に基づく、欺瞞に満ちた体制でした。そのような体制のもと、同化と追放をコインの両面とした、指紋押捺制度に代表される「在日は煮て食おうと焼いて食おうと自由」という発想に規定された入管体制が存続し、在日は戦後「民主主義」の枠外へと置かれ続ける、そのような差別的な制度が維持されてきました。
 戦前の帝国主義・植民地主義を継承した差別・排外主義が、戦後体制として現在に至るまで継続されてきたのです。それは日本人が「抑圧民族であり続けている」ということにほかなりません。

(2)土壌の現在
 1990年代後半に、「新しい歴史教科書をつくる会」に代表される「右派市民運動」が胎動し、「慰安婦」問題を始めとする「歴史修正主義」を展開し、小林よしのりがそれを大衆化しました。1990年代における「文化人とマンガ」の結合は、近年における「<在特会>とネット」の結合と、相似形をなしています。石原慎太郎元都知事の数多くの差別発言と、それを容認する社会のあり様、そしてその後の歯止めなき社会全体の差別・排外的右傾化は、戦後民主主義体制の欺瞞性の本性が露呈し、具現化していく過程でもありました。
 その大きな表れが、少数派や「異端」者を攻撃する「バッシング」の激化です。そのターゲットは<在特会>がターゲットとしてきた人々・事柄と通底しています。小泉政権下での新自由主義・グローバリズムとそれに伴う格差社会が、とりわけ青年層の閉塞感を引き起こし、結果、その閉塞感は「鬱憤晴らし」として「自分よりも下」であると見なした人々へと向けられていきます。新自由主義・グローバリズムと国家の強権化や差別・排外主義化は一体です。
 つまり、グローバル資本主義体制のもとでの中国・韓国の経済的(あるいは中国においては軍事的)台頭に対する「国民」の不安が、差別・排外主義化と国家の強権化を要求し、結果、第二次安倍政権の登場を可能にしました。そうした過程において、日本社会は「慰安婦」、強制労働、戦後補償といった事柄をめぐる当事者の権利主張・異議申立をさえも「中国・韓国の台頭」と認識します。そしてテクノロジーとしてのネットが発展し、「ネット右翼」といった現象のもと大衆の心性に隠されていた差別・排外主義の意識が一挙に可視化したとき――「フジテレビ抗議デモ」など――その差別・排外主義が街頭へとなだれを打って登場していくことは、ことさらに新たな現象と言えるようなことではないのです。

(3)土壌の変革と<現象>を撃つ相互性

 歴史的過程に規定された現在の状況が<在特会>現象を生み出し、ヘイトスピーチを撒き散らすその土壌としてあるとき、そのような土壌を問題とし、その歴史的根拠と要因をえぐり出し土壌を変革すること。それはすなわち日本社会総体の変革を志向するということです。土壌が変革されなければ、<在特会>現象を封じ込めることはできない、しかし一方で、<在特会>現象を封じ込めることなくして、土壌を変革することもできません。いわば、両者は相互的な関係にあります。
 「土壌」が存在する以上、<在特会>に続く新たな「現象」が出現する可能性は大いにあります。田母神グループ、「日本会議」など、極右勢力の台頭は、ヨーロッパ諸国ではすでに現実化しています。だからこそ、私たちは、「モグラ叩き」には陥らないように、<在特会>現象を生み出した、この日本社会の土壌を変革する、その観点を維持しなければなりません。
 当事者の怒りを土台とした、その怒りに共鳴する広範な日本人民衆の立ち上がりこそが、差別・排外主義に反対する個別具体的な課題を、そしてその運動を、前進させる鍵であると考えます。

【3】    いかに闘うか

(1)ネットワークと社会的包囲網

 私たちは、<在特会>現象と闘う多種多様な団体・グループ・個人のネットワークが形成されることによる社会的包囲網の構築を目指しています。多種多様であるということは、各々の専念する事柄も、観点も、アプローチも、得意分野も、異なるということです。私たちとは別のあり方で<在特会>現象と闘う人々に対して、建設的な相互「批判」は行うが「否定」はしない、彼我の相違を前提として、相乗効果を生み出す関係性としてのネットワークの形成を志向しています。そのようなネットワークを創るには、その過程における相互の交流・討論が何よりも重要であると考えています。
 相互に学び、課題を整理し、実践し検証する、そのようなネットワーク化の過程に寄与することを目的として、私たちは、連続的に討論集会を開催し、この『Milestone』を定期刊行しています。多種多様な闘い方・戦術には必然性と必要性があります。そうした様々な領域に亘る運動が、現在の反ヘイトの闘いにおいて必要とされている、と考えています。

(2)「連絡会」の活動 

では、「連絡会」は、どのような活動を担うべきなのでしょうか。

①防衛活動

 「連絡会」は当初より、防衛活動をその重点的な活動として位置付けてきました。「慰安婦」、強制連行、関東大震災の際の朝鮮人虐殺、高校無償化からの朝鮮学校排除など、こうした運動課題は、歴史に根差した現在進行形の課題としてあり、同時に、日本社会の土壌変革の課題としてあります。そして、そのような個別的な運動課題は、<在特会>の当初からの攻撃のターゲットとしてありました。だからこそ、そのような集会・デモ等の貫徹のための防衛任務を担うことを、私たちは自身の活動の主軸として位置付けてきました。
 防衛活動においては、当事者との信頼関係の構築が前提です。歴史に学び、現実の闘いを共有することを通して、当事者が置かれている立場を理解し、当事者の立場を尊重する姿勢が必要です。主催当事者と共同の防衛活動を通して、当事者との信頼関係の構築とそれを軸とした社会的包囲網を形成していくこと。そのような方向性のもとに、防衛活動を担ってきました。

②カウンター

 2013年の東京・新大久保でのヘイトデモ、対するカウンター行動。「連絡会」は、<在特会>のデモに対しては、その暴走を阻止し、当事者である地域住民を防衛し連帯を表明するという観点に基づいて、防衛活動のひとつの形態として、カウンター行動の際の地域住民への(ヘイトデモ通過の周知とそれに対する私たちの見解・認識を記した)ビラの配布を行いました。
 「連絡会」もまた、ヘイトクライムの現場での対峙形態を「抑止・監視活動を超えた直接対峙」として位置付け実践していく必要性について議論してきました。
 (この文章では「<在特会>デモに対する、ネットで不特定多数に呼び掛けたうえでの直接抗議行動」をカウンター行動と指しています。)

 しかし、「連絡会」は、<在特会>のデモ参加者の暴走である「お散歩」に対しては、「お散歩」という暴力形態を阻止する実践的方針を立てきることができず、その評価と方針化・実践化の面で「立ち遅れた」と言わざるをえません。その点で、「お散歩」の現場において実力で対峙し、差別的・暴力的活動を阻止した「カウンター行動」を評価するものです。

 私たちは、上記の直接抗議行動としてのカウンター行動が、<在特会>の「お散歩」を阻止し、新大久保でのヘイトデモを継続不可能な状況へと追い込んだこと、またそのための多数の人々の行動参加を実現したこと、そして、その過程において、ヘイトスピーチやヘイトクライムの問題を社会化・政治化・国際化させる原動力となった点において、これを高く評価しています。
しかし、同時にカウンター行動の中には、次のような様々な問題が内包されているとも考えています。

(3)カウンター行動の課題

 日本社会の歴史的な土壌に規定された現在の「現象」とは、<在特会>現象をのみ指すものではありません。私たちは、現在のカウンター行動に内在するひとつひとつの具体的なあり様を、この日本社会の歴史的な土壌に規定された現象であるとして、その淵源にある土壌を変革する観点から検証していきたいと考えています。したがって、以下の提起は、カウンター行動それ自体を「否定」するものではなく、カウンター行動の前進と発展を企図してされているものであることを、改めて強調しておきたいと思います。

①差別言辞・行為
 <在特会>に対して、中指を立てて抗議する行為、また、性差別言辞や「障害者」差別言辞をもって抗議する行為がカウンター行動において見られてきました。直接ターゲットとなっている当事者はもとより、カウンター行動の中にも女性や「障害者」の仲間は多く存在します。その当事者にとっては、カウンター行動の中での差別言辞・行為によって、<在特会>らのヘイトスピーチと同時に、カウンター行動を取り組む仲間からのヘイトスピーチにもさらされていることになるわけです。
「慰安婦」問題は性差別の極致というよりほかなく、そのように歴史的事象が総括されないまま継続し再生産されている日本社会において、性差別や「障害者」差別は歴史的過程に規定された土壌として存在します。
②『日本の恥』という表現
 『(レイシスト在特会は)日本の恥』といった内容のプラカードがカウンター行動において散見されます。しかし、そのような主張は「レイシズムと無縁な民主主義vsレイシスト在特会」という誤った問題設定を導くものではないでしょうか。そうした主張においては、レイシズムは<在特会>だけの問題となり、私たち「日本人」が抱えている戦後「民主主義」体制に歴史的な土壌として存在するレイシズムは不問に付されてしまいます。
③『仲良くしようぜ』のスローガン
 『仲良くしようぜ』というスローガンが、カウンター行動において散見されました。最初にそのスローガンを掲げた在日当事者の意図を私たちは改めて捉え返す必要があると思っています。歴史的に「抑圧民族」であった日本人が、それを捉え返すことなくこの言葉を使うとき、「日本人は抑圧民族であり、在日当事者は被抑圧民族である」――この事実を不問とすることになります。そのようなスローガンの使用には、私たちは賛同することができません。抑圧民族である日本人は「足を踏んでいる者」です。その足を自らどかして初めて「仲良くしようぜ」と言える、そう「足を踏まれている者」に対して呼び掛けることができる、そうした可能性を模索することができるのではないでしょうか。
『仲良くしようぜ』と在日当事者に対して呼び掛ける前に、抑圧民族である日本人には、なさなければならないことが山積しているのではないでしょうか。それこそが、抑圧民族である私たち日本人の負うべき責任なのではないかと考えています。
④天皇主義右翼
 また、カウンター行動の隊列の中に存在する天皇主義右翼は、反レイシズム・反ヘイトスピーチの運動においては社会的包囲網の外部に位置する、と私たちは考えています。このことは、差別に通じる(問題が内在すると私たちが考える)表現がカウンター行動において見られるという①の問題とは位相が異なる問題です。「抑圧者―被抑圧者」という関係の中にあるという現実を、常に問われ続けながら、自らが捉え返していく中で認識していかなければならない。そうした課題がカウンター行動の参加者にも私たち「連絡会」にも内在する、ということです。
 私たちは、天皇制を支持し、日の丸を是とし、靖国神社を肯定する、そのような右翼との「共存」は成立しないと考えています。天皇主義右翼は、多種多様なネットワークの中における「相違点」を意味するものではなく、ネットワークにおいて「敵の敵は味方」のような主張のもとに容認されうるものでもありません。

(4) 私たちの議論――論点提起

 私たちが議論を重ねる中で出されたいくつかの意見を紹介します。これを私たちからの論点提起として、開かれた議論へと進めていきたいと考えています。

・カウンター行動は、反<在特会>運動における多様な戦術のひとつであり、すべてではない。社会的包囲網形成のためのネットワークの中で、「連絡会」の役割が何であるかを方針化することが先決であり、そのうえでカウンター行動を方針化するかどうかが導き出される。
・カウンター行動は、レイシストに対する抗議の意思を広く可視化させた。レイシズムを容認するのかしないのかを鋭く社会に問い掛けることを実現した。そして、レイシズム・ヘイトスピーチに対する反対の意思を具体的に直接表現できる場を街頭において創り出し、結果、カウンター行動参加者も激増した。眼前で繰り広げられている不正義極まりない状況があるとき、そのことに対して否!と声を上げ、阻止する行動があってこそ、社会的包囲網を形成することができる。
・地域住民すなわち当事者の声を尊重するべきである。「当事者不在の衝突」に陥らないように地域住民を軸とした陣形を作っていく、その方向性こそ重要である。「連絡会」は、そのサポート役を担うべきである。
・繰り返されるヘイトデモにより地域住民すなわち当事者が孤立無援の状態にあった中、日本人によるカウンター行動の登場は、一定の地域住民の賛同を得た。そのことに対する代行主義との批判は該当しない。
・カウンター行動において、「警察権力・機動隊を積極的に導入し、<在特会>を制圧させる」という方針を取ったということについて、「連絡会」の警察権力に対する姿勢や評価とは違いがある。警察権力の弾圧はカウンター側にも向けられており、介入阻止・対峙の姿勢が求められる。
・警察権力による介入・制圧によって結果的に<在特会>を阻止できた、という評価もあったが、カウンターの広がりやさまざまな創意工夫を持った取り組み、メディア・知識人・国会内外の社会的包囲網による力を見るべき。
・地域住民の陣形形成をサポートする。いわゆる左派潮流に対してカウンター行動への参加を訴える。一方で、カウンター行動参加者に対して「土壌」変革の重要性を内在的な批判として訴える。そのようにしてカウンター行動の前進と発展を目指す。
・「連絡会」の地域住民への周知ビラ配布活動、抑止・監視活動をも含めて――(ネット等で呼びかけた)直接抗議行動に限定されないものとして――カウンター行動を定義するべき。

【4】法制化の問題と課題

 ヘイトスピーチに対する法的規制、また基本法を含めた法的整備の問題について、私たちは次のように考えます。

 国連勧告の受け皿が現行の法制度において存在しないことは問題です。在日当事者の切実な思いを受け止めるべきだと私たちは考えています。だからこそ、法的整備の過程における主体としての当事者の参画が、立法府・行政府において実現されることを、私たちはまず何よりも第一に法制化の議論の前提と考えるものです。現在の立法府における議論は、スタートラインにさえ立っていない、というのが私たちの認識です。
たとえば私たちは、民主党政権下における「障害者」差別をなくすための法制定過程が、当事者を主体とした大きな運動を背景にして進められたこと、障がい者制度改革推進会議(委員25名のうち、14名が「障害」当事者やその家族)の下に「障がい者総合福祉法」制定への検討と骨格提言がされたにもかかわらず、結果的には国家官僚の意図により当初の理念を「骨抜き」にされた「障害者総合支援法」という当事者不在の法律として施行されるに至ったこと、これらの過程をつぶさに見ています。
 だからこそ、主体としての当事者が声を上げる条件を持たない、あるいは参政権すら有することのない現状において当事者不在の立法府で議論される――まして自民党のプロジェクトチームが国家権力の強権化をのみ意図して議論を行っている――そのような現在の法制化の過程の問題を措いては、私たちは、基本法の制定にも、まして罰則規定を含む実体法の制定にも、ただちに賛同することはできません。
 閣僚の大半が「日本会議」のメンバーであり、「慰安婦」問題に見られるように政府自らが「歴史修正主義」を国家政策の基本に据えようとしている安倍政権です。このような政権のもとでは、法的整備も大きく歪められると私たちは考えています。
 当事者主体の議論のもと法的整備が検討されるとき、スタートラインに立ったことになると私たちは考えています。そのときこそ、私たちはまず基本法の制定への賛同を、その是非を、国家権力の強権化の問題性――<在特会>のデモを不許可とせよ、公園や公民館の<在特会>による使用を不許可とせよ、といったスタンスや運動については、慎重に吟味する必要があると私たちは考えます――を踏まえたうえで、検討することになるでしょう。


       2015年2月20日


「拡がるレイシズムとヘイト~どう闘うのか~」 3.7差別・排外主義にNO!第4回討論集会報告

レイシズムと闘う人々の互いの意見や経験を共有・深化する場として企画している討論集会も、今回で4回目です。私達は、今回の討論集会のコンセプトを“シングルイシューを越えた反レイシズム・反ヘイトの社会的包囲網作り”に置きました。戦後70年=日韓条約50年の節目の年に、安倍政権が「改憲と戦争のできる国」作りへと突き進んでいることが、レイシズムを活性化させる可能性が大きい。反レイシズムを主な活動課題に掲げているわけではないが、しかし大きな関連性を共有している運動領域の人達と連携をとることによってそのような危機を突破したいと、私達は考えます。共に反レイシズム・反ヘイトの闘いを構築するために何ができるかを考えようという趣旨で、今回の討論集会を企画しました。

 パネリストとしてお話いただいたのは、川原栄一さん(ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワーク<略称:「のりこえネット」>)・新孝一さん(反天皇制運動連絡会)・武市一成さん(國學院大学講師)・藤田裕喜さん(「国連・人権勧告の実現を!」実行委員会)・堀純さん(部落解放同盟練馬支部)および当会メンバーTNです。

 上記の企画趣旨でプログラムを組んだわけですが、今回の討論集会は私達にとって、もう一つ大きな意味を持つものでもありました。当会では、反レイシズム・反ヘイトの闘いの現状と課題について半年間に及ぶ内部討論を経て、その成果を『開かれた討論に向けて-私たちからの提案』(※)という1本の文書にまとめて公表しました。今回の討論集会は、その内容を多くの人に提起して意見交換をする最初の場でもあったのです。当会メンバーからの発題はこの「提案」に沿ったものであり、他のパネリストの皆さんからはこの「提案」と噛みあった形での発言もいただきました。
※『開かれた討論に向けて-私たちからの提案』は、当会発行の『Milestone 里程標』第3号に全文掲載されています。ぜひご覧の上、ご意見をお寄せ下さい。
 まず、極右安倍政権によって国家主義的政策が強権的に推し進められている政治状況があるわけですが、それが社会レベルで深刻な影響をもたらしていることが、パネリストの皆さんのお話からよくわかりました。
 戦前的な価値観で政治を右に持っていこうとする安倍政権に対して、戦後の平和な価値観を象徴するものとして「リベラルな明仁天皇」を持ち出すことで対抗しようとする一部の知識人がいます。その動きには、危機の深さを感じさせられます。戦前的な政治に「平和な象徴天皇制」を対抗させることは、この国の排外主義・民族差別が天皇制による侵略戦争・植民地支配によって作られて、今なおその歴史が清算されていないという問題を曖昧にする危うさをはらむからです。
 また、自治体労働者の大きな左派系労働組合の幹部だった人間が、今はネット右翼になっているという話。地域住民の生活に密着した業務に携わることで市民の生活がよく見えるはずの人間が、人権を蹂躙する生き方に転落する。
 これらの話からは、社会総体が右に大きく傾いていることがよくわかります。また、部落解放闘争を担う人々の中にも、本人はそれを問題だと気付かずに外国人への差別発言をしている人もいるという厳しい現実からは、この社会に民族差別が拭いがたく染みついてしまっていることを感じざるをえません。
 さらには、地域社会が衰退して住民同士のつながりが希薄になることから生まれる住民の孤独感があります。その孤独感から、外国人への排外主義的な感情が地域に入りやすくなっている状況もあります。東京・大久保地域でのフィールドワークに取り組んでいる武市さんの指摘です。
 社会全体がレイシズムに浸食されやすくなっていることが、パネリストの皆さんのお話しから理解できました。

 この日、キーワードになった言葉が二つ。「日本の恥」と「仲良くしようぜ」です。両方とも、レイシストに抗議するカウンターの現場でよく見られる言葉です。
 レイシストに投げかけられる「日本の恥」という抗議の言葉は、ヘイトへの怒りが道徳的国権論に絡め取られる危険があります。「仲良くしようぜ」のプラカードは、民族差別を考えるにあたって重視 しなければいけない日本人自らの加害者性を曖昧にします。
これらの論点は、レイシズムやヘイトとの闘いが、一歩間違えれば天皇制や国家という政治の枠組みに吸収されかねない危うさがあるということを感じさせます。
 国家・天皇制・加害民族というのは、私達が否応なしにその枠組みの中に置かれてしまっている立場性です。そのことをきちんととらえ返して、これらの立場性をひっくり返す大きな方向性がないと、国家そのものがヘイト化する現状とは闘っていけないのではないかと感じさせられます。


 国家・天皇制・加害民族というのは、私達が否応なしにその枠組みの中に置かれてしまっている立場性です。そのことをきちんととらえ返して、これらの立場性をひっくり返す大きな方向性がないと、国家そのものがヘイト化する現状とは闘っていけないのではないかと感じさせられます。

 一方、別の次元からの見方も指摘されました。新大久保のニューカマー(新定住者)の韓国人で「(ヘイトは)日本人として恥ずかしい」という言葉はうれしいという人もいました。
 また高校無償化からの朝鮮学校排除を考える時には、「(そのような事態を許してしまっていることを)自分はやはり日本人として恥ずかしいと思う」という発言もありました。「仲良くしようぜ」のプラカードも、カウンター現場で最初に掲げる時には、「人と人の関係としてみようではないか」という意味でいい言葉だったし、激しい憎悪の現場では当事者に向けては意味のある言葉であるという指摘。
 これらは、いわば現場での直感的な感情でしょう。レイシズムと直面している現場で、人を行動へと動かして闘いを形作る感情があります。理不尽なものへの率直な怒り、人間としての連帯を求める本能的な欲求です。これらを外に向かって形にできる時、人は行動へと向かいます。国家・天皇制・加害民族という乗り越えなければいけない立場性と、それとは別次元の感情。その両者をどのように整理して闘いを作るのかを考えさせられます。
 異なる運動領域の人達との連携をどのように作るかという視点では、国連の人権勧告を実現する運動やインターネットテレビ配信を主な闘争手段とする運動の実践から、示唆を受けました。

 「国連・人権勧告の実現を!」実行委員会は、性的少数者への差別に反対するところから運動が始まって、他分野の活動をしている人達との出会いから活動領域を広げていきました。国連勧告の実現を政府に働きかけるという一点を運動の目的にしていることもあるのですが、そもそも異なる分野の活動が集まっているので、まずお互いを理解しようとする姿勢がなければ運動が成り立たない。それなので意見やモノの見方の違いが「(運動の)対立」にまでなることはないそうです。
インターネットテレビ配信を活動の柱にする「のりこえネット」は、できるだけ多くの人に問題を訴えることを主眼にします。「右に傾く日本を変える大きなうねりを作りたい」「右傾化する全体状況にまず反撃する」ということで、反レイシズムを基調としつつ、思想信条は問わずできるだけオープンに広げていく方法論を取ります。
 闘いの現場にはいろいろな人がいます。反天皇制運動連絡会や部落解放同盟にとっては天皇制右翼とどのような距離をとるのかが課題になります。そしてそれは、朝鮮・中国への民族差別の原因が天皇制国家による侵略戦争にあると考える私達にとっても、同じ課題なのです。「現場では喧嘩はしないが、共闘もしない」というスタンスが、ほぼ共通のものでした。

 最後に、あまり時間がなかったために論議を深めることができなかったですが、ヘイトの法的規制と表現の自由の関係についても話題になりました。
 表現の自由の枠で語ると差別の問題が見えにくくなるのではないか(パネリストの方は「回収されてしまう」と表現されていました)という意見や、何が差別かについて社会的合意が得られたものがあるので、それについては法的規制がされてもいいのではないかという意見が出されました。法的規制については、「表現の自由」の視点からではなく、差別問題の視点から考えた方がいいということだと思います。集会参加者は65名でした。


2015年2月24日火曜日

3.7 差別・排外主義にNO! 第4回討論集会

3.7  差別・排外主義にNO! 第4回討論集会 拡がるレイシズムとヘイト ~どう闘うのか~
[ 日時 ] 2015年3月7日(土) 13:30開場/14:00開始
[ 会場 ] 文京区民センター 2A (都営三田線・大江戸線 春日駅下車 A2出口 すぐ)
[資料代] 500円  ※ 集会終了後 (17時半頃~)同会場にて交流会を行います。(交流会費2000 円)
パネル・ディスカッション▼
川原 栄一さん (のりこえねっと)
堀 純さん (部落解放同盟練馬支部)
新 孝一さん  (反天皇制運動連絡会)
藤田 裕喜さん (「国連・人権勧告の実現を!」実行委員会)
武市 一成さん (國學院大学講師。多文化交流、国際交流)
差別・排外主義に反対する連絡会
連絡会は、この間、互いの意見や経験を共有、深化する場として連続討論集会を開催してきました。 (第1回:「何が起こっているのか? 何が問題なのか?」 第2回:「攻撃された当事者は何を思う?私たちはどうつながるか?」 第3回:「 <在特会>は、なぜこうした人々を憎悪するのか?」 )といったテーマで、いずれもパネルディスカッション形式で論議が交わされました。

 来る第4回は、「拡がるレイシズムとヘイト ~どう闘うのか~」と題して、前回の課題を継続するとともに、この課題に取り組んできた各々の実践を通じて見えてきたもの、困難さ、連帯・共闘の展望などを、意見交換できればと考えています。

 この間、フランスで起きたテロ事件を契機に、欧州各地でイスラム教徒の移民2世、3世への差別・排斥が強まっています。そして日本においては「イスラム国」による日本人人質殺害事件をめぐって、安倍政権は2人を見殺しにした責任を問われることなく、「テロに屈しない」と挙国一致の空気が蔓延、批判の声に対しては圧力、バッシングが吹き荒れている状況です。

 こうした中で、勢いづく安倍政権は<戦後レジームからの脱却>=<改憲と戦争のできる国>へと突き進んでいます。今年はまた、戦後70年、日韓条約50年という歴史的節目の年であり、新たな「談話」も予定されるなかで、レイシスト―排外主義者らが活気づく可能性が高まっています。私たちは、この事態から何を洞察し、どう行動するのかが問われています。

 討論集会を通して、ともに社会的包囲網の形成に向けての一歩を。多くのご参加をお待ちしています。