2014年1月13日月曜日

未来への橋頭保―2013年 差別・排外主義にNO!12.8討論集会報告

未来への橋頭保―2013年
差別・排外主義にNO!12.8討論集会報告
<2013年 新大久保・京都判決を振り返って―何が起こっているのか?何が問題なのか?>
 2013年12月8日、東京・新大久保カウンター行動と京都朝鮮第一初級学校襲撃事件裁判(以下、「京都裁判」)の2つの闘いを中心にして反レイシズム闘争の現状を考える標記集会を開きました。プログラムは次の通りです。

<第一部 報告>
・新大久保カウンター行動について

金展克さん(新大久保でのカウンター行動やヘイトスピーチデモの排除を訴える署名活動等を展開)
・京都朝鮮第一初級学校襲撃事件裁判について
金尚均さん (龍谷大教員、裁判闘争を中心で担う)
・2000年以降の差別・排外主義の動向とその背景
当連絡会メンバーFG
・2009年蕨事件以降の連絡会の取り組みと具体的問題
当連絡会メンバーMY
・各報告を受けて
鵜飼哲さん(『インパクション』編集委員)

<第二部 パネルディスカッション>
[排外主義勢力との対決と社会的包囲網/攻撃にさらされながら闘う人々との連帯の方法/排外主義廃絶のための法的規制などをめぐって]

パネリスト:金展克さん/金尚均さん/鵜飼哲さん/当連絡会メンバーFG/当連絡会メンバーMY
 
 新大久保カウンター闘争はレイシストのヘイトデモを中止に追い込み、京都裁判闘争は京都朝鮮学校へのヘイトスピーチが民族差別に基づく不法行為であるとの認定と街宣差し止めの判決を引き出しました。東と西で2013年に大きな成果を勝ち取ったこの2つの闘いの取り組み過程と意義について、金展克さんと金尚均さんから語っていただきました。そこからは、在日コリアン当事者の苦闘が大きな運動陣形へ拡大していった様子がわかりました。そしてお二人のお話からは両者がお互いに励まし合うものだったということがわかるとともに、それぞれの成果を今後の闘いに活かしていく道筋を見ることができました。

<重層的な闘い-新大久保カウンター闘争>
 「在日特権を許さない市民の会」(以下「在特会」)を始めとするレイシストの新大久保デモは、2012年までは「お散歩」と称して商店街を練り歩いて店や店員に暴力をふるうというやりたい放題の状況でした。それに対して、2013年になってカウンターが始まります。
あまり知られていないことですが、1月のKポップファンによる在特会への抗議メールの集中が出発点でした。それが街頭での直接抗議の誕生につながったそうです。
 街頭でのカウンター行動は2月9日の「しばき隊」の登場から始まりますが、「プラカ隊」「知らせ隊」「ドラム隊」「ダンス隊」など、さまざまな表現方法を取る人達が集まって多様なスタイルをとりつつ、人数が一気に膨れ上がっていきます。そして、6月30日には出発地点の公園を包囲してデモをさせない闘いが呼びかけられ、2,000~2,500人が参加しました。デモそのものを阻止することはできなかったものの、初めてデモコースから大久保通りをはずさせることに成功します。そしてついに、7月7日のデモを中止に追い込んだのです。
 中止に追い込んだものは何か? 金展克さんは、いろいろな要素が合わさった結果と分析します。2月から7月までのいろいろな取り組みを時系列的に説明して下さったのですが、並行して進められたいろいろな取り組みが、時を追うごとにお互いを強めていった過程がよくわかりました。
 大久保地域住民は、デモコースから新大久保地域をはずすように在特会に行政指導をすることを求める署名運動を始めます。これは、15,000筆を超えました。3月上旬には有田芳生参議院議員が中心になって参議院で院内集会を開催し、同下旬には12人の弁護士が人権救済を申し立てます。これをきっかけにマスメディアが事態を取り上げ始めます。3月31日のカウンターでは、大久保通りに設置された商店街の大きなメッセージビジョンで、9人の著名人がヘイトスピーチ反対を訴えました。5月上旬には第2回の院内集会を開催するとともに、参議院の予算委員会・法務委員会で総理大臣と法務大臣に国会質問。安倍首相は「きわめて残念」と答弁。
 5月下旬、国連人権理事会勧告が出されるとともに日本弁護士連合会会長が声明発表。これには勇気づけられたという金展克さん。6月、第3回の院内集会が開催されるとともに、署名活動第2弾として、公園使用許可を出さないことを新宿区に求める署名活動を大久保地域住民が始めます。そして7月1日の日韓外相会談では、韓国の外相が新大久保の事態について言及して、ついに「国際問題」になります。これにも勇気づけられたとのことです。
 現場カウンター闘争が半年間で一気に社会的包囲による闘いへと拡大していく経過が、金展克さんのお話からよくわかりました。

<京都朝鮮第一初級学校襲撃事件裁判が切り開いた論理的地平>
 新大久保を始めとする各地のカウンター闘争は、京都裁判の闘いを支えました。「カウンターが出現することで自分達は精神的に安定しリラックスできた」というのは金尚均さんの言葉。お話によると、2009年12月4日から翌年3月28日までの在特会による3回の学校襲撃時は、保護者と一部の関係者だけで対応せざるをえなかった。「相手にするな」という声も多かったそうです。襲撃を警察は見ているだけで止めないし、裁判所から出された示威活動禁止の仮処分も無視される。警察も司法も自分達を守らないという絶望感の中、孤独な闘いを強いられたといいます。
 しかし、刑事告発に赴いた警察署で告発書の受け取りを拒否するかのような露骨な妨害に遭うという事態に直面して、“民族教育の機会を奪おうとする動きに対しては何としても闘わなければいけない”という強い思いから決意を固めて、2010年6月に民事訴訟に踏み切ります。
 3年間の裁判闘争の結果、2013年10月7日、京都地裁で勝訴の判決を勝ち取ります。判決は、在特会の行為は人種差別撤廃条約が禁じた人種差別に基づく違法行為であるという画期的な認定をします。その上で、①約1,200万円の損害賠償②朝鮮学校周辺で学校関係者への面談強要および学校を誹謗中傷する演説・ビラ配布・徘徊の禁止、の2つを命令したのです。人種差別に基づく違法行為を認定したことの重要さはもちろんですが、現場の当事者としては②の街宣差し止めの意義が大きいと金尚均さんは指摘します。当事者を直接守るからです。
 今回の判決は、在特会のヘイト襲撃が個別の生徒や教師という個人ではなく学校全体に損害を与えたと認定した上で、街宣差し止めまで踏み込みました。新大久保のヘイトデモを中止に追い込んだのと同じ地平の結果をもたらしたのです。しかし、ここには法理論上の見過ごせない問題があることを、金尚均さんは指摘しました。今回の判決は学校全体を被害者と認定しましたが、これは「学校法人」としての京都朝鮮第一初級学校です。法人すなわち“法制度上の個人”で、実態や判決の影響はどうあれ、あくまでも「個人」を救済したものなのです。ある集団全体に人種差別が行なわれても、個人に具体的な損害が生じていない場合は損害賠償を命じることはできないという線を、この判決は崩していません。今回の判決をそのまま適用して、新大久保地域全体での街宣差し止めが命じられるかどうかというと難しいのです。個人ではなく属性(民族・性別等)を理由にして差別が行なわれた場合に、それを問題にできる法的な理論が必要というのが、金尚均さんの指摘する課題の第1点です。
 課題の第2点は、在日コリアンの民族教育権をきちんと社会の中に位置付けることです。在特会のヘイト襲撃の動機は、在日コリアンの民族教育への敵意です。しかし、判決はこの点は意図的に触れていません。また、「みんなフラット(平等)ですよ」という思考から始まる“基本的人権の尊重”では、在日コリアンへのヘイトクライムが始まる歴史的事情の捉え方が弱い、それが日本社会の弱みになっていると金尚均さんは指摘します。

<2つの闘いをマイルストーンにする>
 新大久保カウンター闘争にたくさんの人が決意を持って集まったことがとても貴重なことと前置きして、金展克さんはこれから何をしたらいいかを語りました。「熱量」という表現を使いましたが、その高い熱量があるうちに状況が後戻りできないような「マイルストーン」(注:物事の進み具合を確定させる節目)をきちんと作ることを切実に望んでいるとのことです。具体的には、何らかの法制度を作ること。これが当事者にとっては安心度が高いとのことです。
 ここで京都裁判闘争が勝ち取った地平を発展させる方向性が出てきます。法律によるヘイトクライム規制の問題ともつながっていきます。この問題に詳しい師岡康子さんが会場にいらして、話をうかがうことができました。
 国会議員の中で2014年にも規制法案を提出する準備が進んでいるが、今の国会状況では成立させることは難しいのではないか。刑事規制は時間がかかるので民事規制(たとえば人種差別禁止法)でヘイトスピーチ規制を入れるという進め方が考えられる。また実現性で言えば、地方自治体で条例等を作ることはやりやすいとのことでした。
 どのような方向で進めるにしても、一つ考えなければいけないことがあります。コメンテーターの鵜飼哲さんの指摘です。排外主義の闘いの前面に在日コリアンが出ざるをえない状況を作ってしまったことの問題。2つの闘いは力強いが、日本の圧倒的な排外主義の中でそれは、在日コリアンが危険な圧力にさらされるということを意味します。これは私達自身が克服しなければいけない課題と鵜飼さんは指摘します。
 これから私達はどうするのか?日本人に求めることは何ですかという質問に、金展克さんも金尚均さんも異口同音に「現場に来ること」と答えています。たくさんの人が集まることに計り知れない意味があるというのが、当事者の想いです。

<「カウンター以前」の取り組みから活かすもの>
 私達「差別・排外主義に反対する連絡会」(以下、「連絡会」)は、2010年に活動を始めました。今のような街頭でのカウンター行動は誰も展開できていない時期です。その頃の運動をもう一度振り返り、今後に継承するべきものを考えてみました。報告は当連絡会メンバーMYです。
 連絡会が始まったきっかけは、2009年蕨市におけるフィリピン人一家嫌がらせ事件でした。レイシストのデモとそれへの抗議。そこから起こるある種の混乱状況の中で地域の運動が停滞していってしまった現実を、私達は重く受け止めました。
 この事件をきっかけにして始まった「行動する保守」グループの暴力的な直接行動、攻撃目標とした個人や集会に直接襲撃をかけるというあり方は、当時いろいろな団体に動揺を引き起こします。連絡会にも問い合わせが相次ぎます。連絡会としてはそれを受けて、現場のトラブルへの対処方法を研究するとともに、攻撃の対象にされた集会が平穏に進められる環境を作るために監視・警備をすることをめざしました。ある外国人集住地域の場合は、大使館を含めた関係者が攻撃の拡大を防ぎ事態を鎮静化するために相当努力を積み重ねており、連絡会もそれを支えるために動きました。その地域や個人が繰り返し攻撃を受けることを避けることを第一に考えて、慎重な対応をしたのです。
 しかし、2013年の新大久保のように攻撃が反復して継続する場合には、このような行動様式では取り組みが弱くなってしまうことを、今は改めて感じています。
 また、新大久保カウンター闘争の盛り上がりを支えたのは、地元商店街の人達が取り組んだ地道な署名活動の取り組みだったのではないかととらえ返しています。レイシストは攻撃目標を絞ると、しつこくやってきます。そうすると「こういうのを認めていいのか」という世論が必ず出てきます。それを強めていって社会的包囲網を多くの人の力で作っていく、それを連絡会はめざしていきます。さまざまな現場に足を運ぶ、さまざまな思いを重ねながら、みんなの知恵を集めて解決していきましょうと結びました。

<ネット右翼と「行動する保守」の土壌>
 集会では、2013年の動きの確認だけではなく、それが国家レベルでの中期的な排外主義の変容の中でどのように位置づくのかを明らかにしようとしました。「2000年以降の差別・排外主義の動向とその背景」を当連絡会メンバーFGから問題提起しました。
 一つは1995年の河野洋平官房長官談話に反発する形で始まった、「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史修正主義です。「軍隊慰安婦は強制ではない。朝鮮人強制連行はなかった」などと歴史的事実を捻じ曲げる主張を展開し始めました。
 もう一つは、1980年代のスパイ防止法制定策動から始まる右翼国民運動の流れです。これが1990年代以降に、「対テロ」の形を取り始めます。1995年地下鉄サリン事件、2000年石原都知事「三国人が暴動を起こす」発言、そして2001年9.11事件によるアメリカの「テロとの戦争宣言」。これが“異端者あぶり出し”の動きを強めました。
 この二つが合流した表れが、2008年にノンフィクション作家工藤美代子が大手出版社の雑誌に発表した記事です。そこでは「関東大震災時の朝鮮人虐殺は正しかった」と公然と記述されていました。趣旨は「テロリストになる可能性がある(から虐殺も仕方がない)」というものです。
 ネット右翼や「行動する保守」グループは、このような土壌の上で活発になりました。公然と登場したのは2004年のイラク人質事件バッシングです。街頭でプラカードを掲げて攻撃を加えるなど、それまでの街宣右翼や新右翼とは異なるスタイルが、この時初めて登場しました。そして、「新しい歴史教科書をつくる会」以上に、民族排外主義の色が濃厚です。民族差別の領域だけではありません。社会的弱者が権利を行使することを徹底的にたたきます。それは、生活保護バッシングに見られるように、政治家が先頭を切ってそれを草の根が追っていくという構造にもなっています。
 ネット右翼や「行動する保守」グループが跳梁跋扈する歴史的・政治的背景を見ることで、彼らに対してどのようなアプローチをするかを考えていこうと提起しました。

<戦争レイシズム>
 コメンテーターの鵜飼哲さんに、4人のパネリストの方のお話のつながりについて、適宜まとめていただきました。
 まず、金展克さんと金尚均さんのお話を、私達がどのように受け止めたらいいかについてです。潜在的にあるはずの反レイシズムの世論を顕在化させなければ運動に未来はないが、新大久保カウンター闘争はそれを実現した。大きな一歩と評価しています。それと同時に、この国が戦後一貫して否定してきた朝鮮の人々の民族的教育権を確立する方向性を作っていかなければいけない。京都裁判で勝ち取った成果を発展させるために、私達が真剣に考えるべきポイントだという提起でした。
 そして、全体の話を「戦争レイシズム」という視点でまとめました。
 「何段階かを経て日本人の精神的再武装が進められている」という海外での論評を紹介されていました。2002年の小泉訪朝から始まった北朝鮮バッシングが、その第1段階。それが安倍政権になって、中国・台湾との領土問題をきっかけにして飛躍的に強化されています。そのような状況の中では、レイシストが新大久保でがなり立てるスローガンは、韓国に対する「戦争宣言」だということ。戦争をするというメッセージでレイシストは街頭に出てきた。そのことを世論に喚起しなければならない。
 そして、札付きのレイシストである石原慎太郎が3期にわたって東京都知事を務めているわけです。つまり、東京都民にとってはレイシズムの問題は重要ではなかった。このことの持つ問題を私達は見据えなければならないと訴えました。
 「これからテロリストになる可能性」という論理について、これはイスラエルがパレスチナを攻撃する時に使われるものだと指摘します。70年前に日本がやったような侵略戦争だけが戦争の形ではない。イスラエル型の戦争があるのだという指摘です。
 「関東大震災からまだ90年」「戦争になって最初に殺されるのは在日」という在日コリアンの言葉を紹介しつつ、在日外国人を徹底的に排除する中で成り立っている戦後のあり方を問い直していこうと結びました。

<未来に向けて>
 最後に、未来に向けて2013年の闘いが切り開いた地平について、手前味噌ですが当連絡会メンバーFGの発言を紹介してこの報告を終わります。「今後反ヘイトの闘いを進めていくにあたって、この1年間の闘い、特にカウンター闘争をどのように評価するか」という司会からの問いかけへの発言です。
 「活動家だけではなく普通の人が参加して自分の意志でプラカードを掲げたこと、創意工夫した戦術で立ち上がったことがすごいと思う。参加者は延べにしたら大変な人数になっているし、メンバーや戦術は、特定秘密法案反対や沖縄辺野古基地建設反対の闘いにつながっている。それぞれの闘争課題ごとにタコツボ化してしまった現状を食い破るうねりができたことを実感している。人間の尊厳を踏みにじるものに対しては立ち上がらなければいけないという気持が(お互いに)伝わっていく流れができた」。

以上