2013年10月14日月曜日

Report/ 京都事件判決とこの三年間のあゆみ


 2009年4月、埼玉県蕨市在住のフィリピン人一家(娘のみが在留特別許可を得、二日後に両親は出国が決まっていた)をターゲットとしたデモが行われた。ネット上などで人種差別を公然と主張する極右市民グループとその支持者による100名を超える動員だった。
  このデモで勢いを得た極右市民グループは、以後集会や三鷹市の従軍慰安婦問題パネル展覧会、朝鮮大学文化祭への襲撃を繰り返した、12月には京都朝鮮第一初級学校を授業中に襲撃し、立て続けに老人ホームへの押しかけが試みられる状況に至った。2010年には関西で続けられていた日本軍性奴隷(いわゆる従軍慰安婦)問題解決を呼びかける水曜デモが妨害を受け、議員事務所の襲撃,徳島県教組事務所襲撃、生駒市市議会や中野区議会での騒擾行為,千葉県内の教会への礼拝妨害行為が続いた。2011年1月には水平社博物館前で差別街宣が行われた。
  外国人参政権反対や領土問題を掲げた排外デモは最盛期には1500名以上の参加者を集めた。京都事件と徳島事件で2010年八月に大量逮捕者を出して以降は2010年10月の東京秋葉原の領土問題を掲げ750名を動員したデモ(その後複数の電気店に押しかけ騒擾)を例外とすれば、数十名から200名程度の動員となっている。
  2012年6月新宿ニコンプラザでの元日本軍慰安婦の被害女性を取り上げた写真展、続いて開催されたギャラリーでの写真展、関東大震災虐殺被害者追悼集会等への執拗な妨害は依然続いている。
 また関東では蕨、池袋、上野、御徒町、川崎、新大久保、関西では鶴橋、ウトロ地区等、外国籍住民の集住地域にターゲットを絞ったデモ・街宣を軸とした執拗な嫌がらせもいまだ重ねられている。
 行動する保守を自称する彼らは、ネット上の断片的なデマ情報を都合良く組み合わせ「正義は我にあり」と、現場では文字に起こすのもはばかられる言葉を繰り返し、自らを差別の被害者であると繰り返し、その行動をネットにアップし、被害者を繰り返し傷つけ、更なる動員とメンバーの結束を呼びかけている。

 私たち連絡会の現場での活動は、彼らに対する情報の事前の整理と、攻撃対象となった集会や施設等に対する警備協力やデモ・街宣の監視などの『点』の取り組みが中心だた。地域=『面』については、数件の経験のみだった。
 最近の地域にターゲットを設定した行動に対して、率直に言って私たちは十分な力量がなかった。また対応如何では現地が聖地化してしまい、騒擾状況が固定化・エスカレートしかねないという懸念を今も抱いている。そのような考えから、地域と関係を作りながら慎重に監視行動を重ねる行動にとどまってしまった。

 しかし複数の人権ロビイング団体の尽力により国連人権理事会、人種差別撤廃委員会、社会権規約委員会から対日勧告が続いた。国内でも弁護士会が声明を出し、院内集会も緊急開催された。『しばき隊』『ブラカ隊』(この取り組みは現在C.A.RCとなっている)『知らせ隊』等のグループはもとより、極右排外市民団体の蛮行を食い止めようとする心あるたくさんの市民が新大久保の現場に足を運び「NO!」と声をあげ続けた。マスコミの活発な報道や、エリア規制を求める緊急署名の粘り強い活動などが重層的に重なりながら、六月末まで厳しい現場でたくさんの市民が対峙線を引く展開となった。私達連絡会も対峙の仲間に加わりながらビラ情宣などを行い、新大久保の闘いに連なった。

 様々な人々の真摯な努力の重なりが結果7月7日には予定された排外デモを中止に追いこんだ。9月8日に再開するなど予断を許さない状況ではあるが新大久保は平常を取り戻しつつある。

 極右市民グループの発するメッセージは「怨み」「いいがかり」「深刻な思いこみ」である。そして暴力が伴う。彼らの行為は当時者から言葉を奪い沈黙と絶望を強いる。この前提に立ち、私たち連絡会は攻撃対象とされる当事者と交流を重ね、話に耳を傾け、事情を理解することを大切にしてきた。これからも社会的包囲網の形成に向け丁寧な取り組みを重ねていかなくてはならない。

 大阪では七月一四日の「なかよくしようぜ!」反レイシズムパレードに600名を超える人々が集い。9月22日の反レイシズムバレードに「東京大行進」には3000人近くの人々。私達連絡会も参加し、アピールの声に連なった。翌二三日の私たち連絡会主催の第3回9・23ACTIONも200人の参加があり、東京・大阪からののべ3000人もの声が重なり響きあった。この三年間の様々な人々の試行錯誤と闘いの成果だ。
 私たちは辛叔玉さんの「のりこえネット」の呼びかけにも注目したい。「東京大行進」の実行委の金展克さん、「のりこえネット」の辛叔玉さんをはじめたくさんの方が九・二三ACTIONの出発前集会でメッセージを寄せて下さった。真摯な気持ちが重なり合う本当に濃密な時間だった。

 10月7日11時、京都朝鮮第一初級学校襲撃事件の判決があった。差別・排外主義に反対する連絡会も、これまで裁判傍聴に参加してきた。口頭弁論は気がつくと判決まで19回も重ねられた。この裁判の長く厳しい闘いに連絡会は身の丈に合わせた応援しかできなかった。当時の六年生は高校生になった(そして今度は政府により高校無償化から排除されている)。
 そんな私達を、最初から保護者の皆さん、先生と学校関係者の皆さん、弁護団の皆さん、裁判を支える「こるむ」の皆さん、そして関西のたくさんの仲間が、いつも温かく迎えてくれた。
 足を運ぶ度に、京都の皆さんは思い起こすだけでも辛いこの事件で「何が起き何が問われているのか」を粘り強く教えて下さった。いつも温かく包まれ励まされ、少しずつ育てられた日々は私達の宝物だ。
 
 これからも私達差別・排外主義に反対する連絡会は、試行錯誤を重ね自らの課題を意識し、研鑽を積んでいかなくてはならない。

Report by YZ