2013年10月19日土曜日

今問われているのは”本気度“です。

9月23日反差別・外国人との連帯行動に参加した皆さまに、敬意と感謝をします。これまで何回かの反差別デモとカウンター行動に参加しましたが、9月23日の行動には初参加です。
 私は品川に住む64歳の在日外国人(日本生まれ)です。日頃から在特会の行動には憤りを感じております。特別永住権、朝鮮学校無償化、生活保護の問題等々、どれ一つをとっても在特会の主張に正義はありません。在日を攻撃し、部落差別を煽ることは、日本社会の閉塞性を右から進めることであり、日本の戦後的価値法制は大きな打撃をこうむること必定です。ナチスのユダヤ人商店への襲撃から、15年後にはアウシュビッツが待っていたことは歴史の教訓であり、悲惨な第2次世界大戦へと行き着いたのです。関東大震災の朝鮮人虐殺も、日本のアジア侵略・差別排外主義の突破口であったことは歴史の教訓です。
 9月23日の行動に参加された皆さまに、再度心からの敬意と感謝の念を禁じえません。
 要するに、在特会のデモを”本気で止める“。今問われているのは”本気度“です。時代が戦前へと突入する情勢をいくつもの指標が示しています。こうした日本における支配の危機とその顕れである具体的な動きに一つ一つ反撃しないと、歴史の勝者にはなれません。重ねて、試されているのは”本気度“です。ありとあらゆる場所で支配層の攻撃に抗して立ち上がることですし、また、立ち上がるでしょう。
 過去の闘いに浸っていては、現在・未来に対して裏切り者になるんだということを、私自身の襟を正していかなければならないと思っています。私は反差別・連帯行動の皆さまの運動の中に、”主体的な運動“”自分でものを考える運動“であることを遅ればせながら実感しました。私もそのように運動し、老骨に鞭打ちながら、皆さまにご迷惑をかけることだけはしないようにと思っています。
 これからの運動、ともに頑張りましょう。
「品川から参加された在日の方」

2013年10月14日月曜日

Report/ 京都事件判決とこの三年間のあゆみ


 2009年4月、埼玉県蕨市在住のフィリピン人一家(娘のみが在留特別許可を得、二日後に両親は出国が決まっていた)をターゲットとしたデモが行われた。ネット上などで人種差別を公然と主張する極右市民グループとその支持者による100名を超える動員だった。
  このデモで勢いを得た極右市民グループは、以後集会や三鷹市の従軍慰安婦問題パネル展覧会、朝鮮大学文化祭への襲撃を繰り返した、12月には京都朝鮮第一初級学校を授業中に襲撃し、立て続けに老人ホームへの押しかけが試みられる状況に至った。2010年には関西で続けられていた日本軍性奴隷(いわゆる従軍慰安婦)問題解決を呼びかける水曜デモが妨害を受け、議員事務所の襲撃,徳島県教組事務所襲撃、生駒市市議会や中野区議会での騒擾行為,千葉県内の教会への礼拝妨害行為が続いた。2011年1月には水平社博物館前で差別街宣が行われた。
  外国人参政権反対や領土問題を掲げた排外デモは最盛期には1500名以上の参加者を集めた。京都事件と徳島事件で2010年八月に大量逮捕者を出して以降は2010年10月の東京秋葉原の領土問題を掲げ750名を動員したデモ(その後複数の電気店に押しかけ騒擾)を例外とすれば、数十名から200名程度の動員となっている。
  2012年6月新宿ニコンプラザでの元日本軍慰安婦の被害女性を取り上げた写真展、続いて開催されたギャラリーでの写真展、関東大震災虐殺被害者追悼集会等への執拗な妨害は依然続いている。
 また関東では蕨、池袋、上野、御徒町、川崎、新大久保、関西では鶴橋、ウトロ地区等、外国籍住民の集住地域にターゲットを絞ったデモ・街宣を軸とした執拗な嫌がらせもいまだ重ねられている。
 行動する保守を自称する彼らは、ネット上の断片的なデマ情報を都合良く組み合わせ「正義は我にあり」と、現場では文字に起こすのもはばかられる言葉を繰り返し、自らを差別の被害者であると繰り返し、その行動をネットにアップし、被害者を繰り返し傷つけ、更なる動員とメンバーの結束を呼びかけている。

 私たち連絡会の現場での活動は、彼らに対する情報の事前の整理と、攻撃対象となった集会や施設等に対する警備協力やデモ・街宣の監視などの『点』の取り組みが中心だた。地域=『面』については、数件の経験のみだった。
 最近の地域にターゲットを設定した行動に対して、率直に言って私たちは十分な力量がなかった。また対応如何では現地が聖地化してしまい、騒擾状況が固定化・エスカレートしかねないという懸念を今も抱いている。そのような考えから、地域と関係を作りながら慎重に監視行動を重ねる行動にとどまってしまった。

 しかし複数の人権ロビイング団体の尽力により国連人権理事会、人種差別撤廃委員会、社会権規約委員会から対日勧告が続いた。国内でも弁護士会が声明を出し、院内集会も緊急開催された。『しばき隊』『ブラカ隊』(この取り組みは現在C.A.RCとなっている)『知らせ隊』等のグループはもとより、極右排外市民団体の蛮行を食い止めようとする心あるたくさんの市民が新大久保の現場に足を運び「NO!」と声をあげ続けた。マスコミの活発な報道や、エリア規制を求める緊急署名の粘り強い活動などが重層的に重なりながら、六月末まで厳しい現場でたくさんの市民が対峙線を引く展開となった。私達連絡会も対峙の仲間に加わりながらビラ情宣などを行い、新大久保の闘いに連なった。

 様々な人々の真摯な努力の重なりが結果7月7日には予定された排外デモを中止に追いこんだ。9月8日に再開するなど予断を許さない状況ではあるが新大久保は平常を取り戻しつつある。

 極右市民グループの発するメッセージは「怨み」「いいがかり」「深刻な思いこみ」である。そして暴力が伴う。彼らの行為は当時者から言葉を奪い沈黙と絶望を強いる。この前提に立ち、私たち連絡会は攻撃対象とされる当事者と交流を重ね、話に耳を傾け、事情を理解することを大切にしてきた。これからも社会的包囲網の形成に向け丁寧な取り組みを重ねていかなくてはならない。

 大阪では七月一四日の「なかよくしようぜ!」反レイシズムパレードに600名を超える人々が集い。9月22日の反レイシズムバレードに「東京大行進」には3000人近くの人々。私達連絡会も参加し、アピールの声に連なった。翌二三日の私たち連絡会主催の第3回9・23ACTIONも200人の参加があり、東京・大阪からののべ3000人もの声が重なり響きあった。この三年間の様々な人々の試行錯誤と闘いの成果だ。
 私たちは辛叔玉さんの「のりこえネット」の呼びかけにも注目したい。「東京大行進」の実行委の金展克さん、「のりこえネット」の辛叔玉さんをはじめたくさんの方が九・二三ACTIONの出発前集会でメッセージを寄せて下さった。真摯な気持ちが重なり合う本当に濃密な時間だった。

 10月7日11時、京都朝鮮第一初級学校襲撃事件の判決があった。差別・排外主義に反対する連絡会も、これまで裁判傍聴に参加してきた。口頭弁論は気がつくと判決まで19回も重ねられた。この裁判の長く厳しい闘いに連絡会は身の丈に合わせた応援しかできなかった。当時の六年生は高校生になった(そして今度は政府により高校無償化から排除されている)。
 そんな私達を、最初から保護者の皆さん、先生と学校関係者の皆さん、弁護団の皆さん、裁判を支える「こるむ」の皆さん、そして関西のたくさんの仲間が、いつも温かく迎えてくれた。
 足を運ぶ度に、京都の皆さんは思い起こすだけでも辛いこの事件で「何が起き何が問われているのか」を粘り強く教えて下さった。いつも温かく包まれ励まされ、少しずつ育てられた日々は私達の宝物だ。
 
 これからも私達差別・排外主義に反対する連絡会は、試行錯誤を重ね自らの課題を意識し、研鑽を積んでいかなくてはならない。

Report by YZ

Report 京都朝鮮第一初級学校襲撃事件裁判、判決公判の傍聴報告




 2013年10月7日、京都地方裁判所において標記事件の判決公判があり、私たち差別・排外主義に反対する連絡会からは3人が傍聴のため京都入りしました。

(裁判に至る経緯)
 2009年12月4日、在特会メンバーなどが京都朝鮮第一初級学校に対して、隣接する公園を不法占拠しているなどの言いがかりをつけ、学校周辺で聞くに堪えないような差別発言を繰り返しながら街宣を行った(第1回目)。翌年の2010年1月14日には再び同様の街宣を行い(第2回目)、同年3月28日にも執拗に差別をあおる街宣を行った(第3回目)。
 2010年8月10日、威力業務妨害と器物損壊などの容疑で4人が逮捕される。2011年4月21日には4名に対し京都地裁は懲役1~2年、執行猶予4年の有罪判決を下した。
 一方、上記の刑事裁判とは別に前記学校を運営する京都朝鮮学園は在特会とその関係者8名に損害賠償と学校周辺での街宣差し止めを請求する民事訴訟を起こした。今回の判決はこの民事訴訟についてである。なお、この民事裁判は19回行われた。

(入廷前の状況)
 裁判の傍聴には何と179名もの人々が集まり、一般傍聴席は70人分しかありませんでしたので、100名以上の方が法廷外で待たされることになりました。幸い私は籤運に恵まれ、法廷に入ることができましたのでその報告をします。
 先にも述べましたように一般傍聴席は70名で満杯、記者席も1 6名分用意されていましたが同様に満席でした。なお、一般席の傍聴人はほとんどが原告側の支援者と思われました。一方、被告人は川東大了と八木康洋の2名しか出席していません(被告は在特会と8名の個人)。

(判決の概要)
 先ず結論から言えば、判決については原告側の主張を大幅に認めるものでした。ただ、原告側の主張の大きな柱であった「民族教育権」については全く触れられていませんでした。玉に大きな瑕が付いてしまった、の感があります。ともかく、以下にその概要を記します。
 被告人らによる3度の襲撃について判決は明確に被告側の違法性を認め、賠償額を明示しました。
・第1回目(2009年12月4日)については5,547,000円(千円未満については聞き取れなかった、以下同様)
・第2回目(2010年1月14日)は3,415,000円
・第3回目(2010年3月28日)は3,300,000円
そしてそれらには年利5分の割合の利子も付け加えられているので、総額は1,200万円を超える多額の賠償額が命じられたことになります。
 この判決の根拠になっているのが、人種差別撤廃条約でした。もちろん、この条約は肝心の第4条部分(「人種的優越又は憎悪に基づくあらゆる思想の流布」、「人種差別の扇動」等につき、処罰立法措置をとることを義務づけるもの)がこの国では留保されていているのですが、しかし判決は敢えてこの条約に依拠することで、被告人らの一連の言動を明らかな人種差別と認めたのでした。そしてその責任の重大さを多額の賠償金に置き変えたものでした。
つまり、判決は被告人らの言動が明らかな人種差別であると断罪したのです。この国では数少ない判決の一つではないでしょうか。
 また、この多額の賠償額に加えて、被告人らの学校周辺での街宣行動などについても制限が加えられました。

しかし、一方で原告側が繰り返し主張した民族教育の重要性とその権利については全く触れられていませんでした。人種差別の悪質性を厳しく断罪する一方で、それと表裏一体の関係にある「民族教育権」への言及は何もなかったのです。その意味では残念な判決と言わざるを得ません。

 もっとも、それに言及することは朝鮮学校を高校無償化から排除することの悪質さ、理不尽さを浮き彫りにしてしまいかねない恐れもあるので、あえて触れなかったということかも知れません。

 もう1つ判決の中で特筆したいのは、常に撮影に携わっていたブレノ(松本修一)の扱いについてです。自分は関係ないと主張し刑事裁判では有罪を免れた彼ですが、この民事裁判においては明らかな責任が認められたのです。他の者たちが示威活動をしている状況を映像に撮りそれを公開することについて、両者は密接に関係していると、認定されたのでした。当然と言えば、当然のことです。

 いずれにしろ、11時に始まった判決公判はあっという間に終わってしまいましたので、必死でメモしたのですが充分とは言えません。それに判決文そのものも見ていませんので、詳しい報告は出来ませんが、以上が判決の概要です。

(判決報告集会)
 判決の後は場所を近くのホテルに移し、12時から判決報告集会が行われました。この集会にも、平日の昼間であったにもかかわらず、約150名が集まり大盛況でした。また、マスコミ関係者もたくさん来ていました。それはこの裁判の判決がこの国の人権問題に大きくかかわってくるだろうことが予想されたからでしょう。実際、この日の京都新聞の夕刊には、この判決についての記事が一面のトップに書かれていました。トップとは言わないまでも他の多くの新聞にも取り上げられ、ヘイトスピーチに対する規制の是非が論じられたのです。
 話を判決報告集会に戻します。会場のスクリーンには9月22日に行われた「東京大行進」のビラや横断幕などが映し出されていました。と言うのも、京都朝鮮初級学校の児童たちが作成した作品がこのデモ行進にも登場していたからです。この横断幕には「ヘイトクライムのない社会を 民族教育権を保障しよう!」と書かれ、判決の直前にこどもたちのカラフルな手形が追加され、判決当日には京都地裁前に高らかに掲げられたのです。まさに未来を担う子どもたちの切なる思いがこの一枚の横断幕に凝縮されたものと言えます。
 それらをバックにこの集会が始められ、その第一声は差別・排外主義に反対する連絡会から発せられました。勿論、私たちがでしゃばった訳では全くありません。司会からの指名でした。因みに、連絡会は19回あった公判のうちの17回について、傍聴に参加しました。
 9月22日の東京大行進とそれに続く9.23Actionについて簡潔にまとめて報告、満場の拍手に迎えられました。続いてオモニ会の学習会が「醍醐」の新校舎で行われたことの報告があり、徳島県の教職員組合からは徳教組襲撃事件についての民事訴訟裁判が10月25日から行われること、10月28日からは第2次の刑事裁判が行われると報告がありました。引き続き、大阪からは朝鮮高校の無償化排除と補助金カット(橋下市長が原因)に対して裁判を起こしていると報告されました。最後に、醍醐に移転した新しい学校で、この校舎では初めての運動会が行われたと報告され、支援者からの発言が締めくくられました。
 次にこの集会のメインである、弁護士による判決公判の報告やこるむ(在特会による朝鮮学校襲撃事件裁判を支援する会)からの発言がありました。なお、この発言については全て省略させていただきます。というのは、ここで発言いただいた主な内容については、前述した判決の概要の中に反映させており、重複するからです。

(襲撃事件のあった当時の学校訪問)
 かくして、13時30分には判決報告集会も全て終了しましたが、私たち3人は昼食の時間も惜しんで、そのまま襲撃されたかつての京都朝鮮第一初級学校に向かいました。学校は既に解体作業が始まろうとしていましたが、足場が組まれているだけで、幸い当時のままに残されていました。また校舎の目の前にある、問題とされた公園には誰一人おらず、静寂というよりは侘しささえ感じられました。そこには、かつての嫌がらせ状況を脳裏に浮かべる私たち3人が佇むのみでした。

(判決への想い)
 子どもたちの心に深いキズを負わせ、その保護者にも絶望的なほどの悲しみとやるせない憤りをもたらしたこの襲撃事件は、多額の賠償金という形で締め括られました。しかし、その高額な賠償額の意味するものは何なのか、被告人らがその本質を理解したとは到底思えない。物事の本質を彼らが理解しえない、あるいは理解しようとしない土壌がこの国には蔓延しているからでしょうか。そのような根は確かにこの社会に今までもなかったわけではない、しかし戦後70年近く経った今、私たちの日常生活を脅かすほどに公然化したことに言い知れぬ恐怖を感じざるを得ないのは、果たして私だけでしょうか。
 この判決がただ単に「臭いものにふた」になってしまわないことを願いたい、逆にこの判決がそうした風潮を一掃しうる第一歩になって欲しいと心から望むものです。

2013年10月11日(金)
Report by KB

2013年10月5日土曜日

No Pasaran(やつらを通すな)! 交わり高揚する怒りそして闘いへの意志

No Pasaran(やつらを通すな)! 交わり高揚する怒りそして闘いへの意志

--「許すな!差別・排外主義 9.23ACTION」報告--




「差別・排外主義に反対する連絡会」(以下「連絡会」)は9月23日に、「街頭でのレイシストの憎悪に満ちたコールは言論ではなく暴力である。奴らを社会的に包囲する闘いをともに!」という趣旨で、東京・新宿で200人のデモ行進を行ないました。
 さまざまな分野で運動をしている人達が、それぞれのたくさんの仲間と共に参加してくれました。大人数だったのは山谷の日雇い労働者や渋谷の野宿者の人達。また、車椅子の方が遠く茨城から参加された方を含めて3人。白杖の視覚「障害」の方と合わせて「障害」のある人達が多く参加されました。大きなメッセージボードを身につけていたのは、婚外子裁判を闘われている方。地域闘争の旗や労働組合の旗もありました。レイシズムとの闘いは、民族排外主義領域だけの問題ではないという想いを多くの人が持っている表れです。
 今年の8月15日、反靖国運動の屋内集会に対して、在特会が隣の部屋を借りて妨害・嫌がらせをしようとしたという報告が、連帯の挨拶の中でありました。「日の丸」を掲げるレイシストにとっては、国家に異議申し立てをする運動はすべて攻撃対象であり、さまざまな領域で闘う人達にとってレイシズムを抑制することが共通の課題になっていることがわかります。
 毎年9.23に行なっている連絡会のこのデモは、今年で3年目です。昨年よりひときわ目立ったのが、赤と黒でデザインされたシンプルな何本もの旗。現場カウンター闘争や反レイシズムのいろいろな活動に参加されている個人の方が集まったグループです。前日の9.22、2,000人もの人がデモ行進をした「差別撤廃東京大行進」でもこの旗がたくさん翻っていましたが、その方達がこの日も多く参加してくれました。9.22と9.23は一体のものと多くの人が感じています。「差別撤廃東京大行進」には、連絡会も団体として賛同・参加し、そしてこの日は東京大行進の主催者に参加していただき連帯の挨拶をいただきました。闘いはCross Overし、そして拡大しています。
 今年は昨年までと決定的に違うことが一つあります。東京・新大久保へのレイシストの波状的な攻撃に対して、現場カウンター闘争や各方面の重層的な闘いが組まれ、それによってレイシストの行進を中止に追い込んだことです。反レイシズムの闘いが大きく前進する中で今年の9.23を多くの人と歩けたことは、私達にとっても大きな喜びです。
 また連絡会は、在日コリアンを始めとする在日外国人の人達と直接連携して共に課題を解決することをめざしています。その面からも、前日の東京大行進と同じく在日コリアンと共にデモを歩けたことも喜びです。バスの中からデモ行進を見た在日コリアンがわざわざバスを降りてデモに参加したり、交流会では韓国・朝鮮語の会話が飛び交うなど、昨年までは見られない光景でした。そしてそのうちの一人の方からは、「試されているのは(レイシストと闘う)本気度です」という、身の引き締まる檄をいただきました。
 なお、デモ出発前の集会では、大阪で反レイシズムの運動を闘う仲間を含む9団体・個人の方から連帯の挨拶をいただきました。

「差別・排外主義に反対する連絡会」(Photo by Mkimpo)