2013年3月7日木曜日

ヒツジ100匹にヤギ1匹   「差別・排外主義にNO! 1・26講演集会  ~<バッシング>と差別・排外主義を考える~」報告


ヒツジ100匹にヤギ1匹
  「差別・排外主義にNO! 1・26講演集会
 ~<バッシング>と差別・排外主義を考える~」報告



 1月26日、東京・池袋の豊島区民センターでの開催です。メインの講演は、映画監督・作家の森達也さん。ある特定の集団に社会的なバッシングが集中する最近の状況について、なぜ多くの人々がバッシングに同調してしまうのかについて話していただきました。

 昨年12月の衆議院選挙は自民・公明の圧勝でした。事前のマスコミ報道で両党の優勢が伝えられたことで両党の勢いが削がれるのではないかという観測もありましたが、結果は事前予想の通り。昔は「判官びいき」で劣勢の方に票が流れる傾向があったが、今は逆に強い方にはなおさら票が集まる傾向が顕著です。そして、「勝ち馬に乗りたがる」この傾向が強くなったのは、1996年からだそうです。
 その前年1995年には、阪神淡路大震災と一連のオウム真理教事件がありました。森さんはこの年のできごと、特にオウム真理教事件が時代の転換点だったと指摘します。人々が「恐怖」と「不安」を強く意識する時代に入ったということです。
 森さんは、オウム真理教を追い続けてドキュメンタリー映画を作られてきました。事件当時からオウム真理教への集中的なバッシングが続いてきましたが、その過程をつぶさに観察してきた経験から、バッシングの基礎にある社会心理的状況を次のように分析します。
 一つは、バッシングの対象者の本当に姿を知ろうとすることなく「自分達とは違う存在」とみなしたがること。二つは、生活上の実際の被害は受けていないのに自分達が「被害者」だと思うようにすること(必然的にバッシングの対象者は「加害者」になります)。三つは、動機がわからないこと。この3点から人々は、①強者に頼りたがる②大人数でまとまりたがる③自分達の「シンボル」を求めるようになります。
森さんはこの傾向を「集団化」と表現しましたが、政治の世界でのこの傾向を示したのが、「国旗・国家法」に代表される1999年の小渕内閣だと指摘します。それ以後、朝鮮民主主義人民共和国さらにはそれに最近は中国・韓国も加えて、まるで今にもこの3つの国が日本に戦争を仕掛けてくるような、「仮想敵」扱いのような論調が政界・マスコミで強くなっています。しかし、軍事・政治面の実体的な危機は、米ソの核軍事大国がにらみ合う冷戦時代の方がはるかに大きかった。今は、実体とはかけ離れた、ある意味不要な緊張感が社会に漂っています。
それはこの「集団化」が社会で起きているからと森さんは分析します。集団化は、国家の内側では「異物排除」、外側に対しては「仮想敵の設定」をします。みんなが一つの方向に流されずに視点を変えることで、このような集団化の構造を変えようという森さんの呼びかけでした。

 集会は、バッシングの矢面に立つ生活保護問題と高校無償化からの朝鮮学校排除の問題の関係者から、その実情について報告を受けました。
 生活保護問題では、『生活保護とあたし』を書かれた和久井みちるさん。この間のバッシングによって、“生活保護(受給者)のようになったらダメ”という意識が皆の中に作られていて、もはや「身分差別」といってもいい状況になっていると、受給者が置かれた苦しい状態が語られました。
不正受給者だけではなく生活保護で普通に生活している人を取り上げてほしいとマスコミ関係者に言ったら、相手は「きちんとしている人を取り上げても仕方がない(ニュースにならない)」と答えた話からは、今のバッシングがマスコミによって作られた側面が大きいことがわかります。
 ただ、各種の社会保障制度の中でも生活保護制度は、若年齢層と高齢者あるいは「障害者」が横につながれる唯一の制度であり、その面で希望の持てる課題であるという指摘は、これからの運動に展望を感じさせるものでした。
 高校無償化からの朝鮮学校排除の問題で発言されたのは、「『高校無償化』からの朝鮮学校排除に反対する連絡会」の森本孝子さん。民主党政権下で「審査中」として棚上げされ続けたあげくに、自民党政権になって適用除外が決定されたこと。それは、安倍が首相になってからわずか4日目であり、国会審議が不要な文科省令改悪という形で強行されたことに、国の焦りにも似た強い悪意を感じ取ることができます。
 こちらのバッシングは、国家や政治家が主導する面が強いと感じますが、その理由が森本さんのお話からわかりました。なぜ在日朝鮮人が日本という国家から憎しみの対象になるのか?それは、在日朝鮮人が侵略戦争の「生き証人」だからというのが、森本さんの指摘です。そうであれば、私達もバッシングと闘うためにこの国の戦争の歴史と政策を問わなければいけないでしょう。
 当事者の反撃も始まっています。愛知・大阪では国を相手に訴訟を起こし東京でも訴訟の準備がされています。3月31日には東京で大きな集会が予定されています。

 最後に、バッシングが跋扈する今の社会のあり方を暗示するエピソード。森さんが放牧が盛んなモンゴルを訪れた時の話です。放牧されているヒツジ100匹の中に必ずヤギが1匹入っているそうです。なぜか?ヒツジは群れで動くが、自分からは何もしないしできない。だから、ヒツジ100匹だけではみんな餓死してしまう。そこで群れを引っ張る役割としてヤギを入れているそうです。1匹のヤギが動けば100匹のヒツジも動く。
 日本人は“ヒツジ度”が高くて、このままでは危ないという森さんのお話でした。差別・排外主義のヤギが大きな顔をするのは許してはならないということでしょう。また、みんなが自分でモノゴトを考えて動ける“ヤギ的人間”になろうということでもあるでしょうか。
この日の参加者は90人でした。

※発言では、オスプレイ配備に反対する首都圏ネットワークからの緊急アピールがありました。
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