2012年2月24日金曜日

「世界―日本のレイシズムの現在を考える」4・14講演会

生きる権利に国境はない!

私達の仲間に手を出すな!

~埼玉フィリピン人一家嫌がらせ事件から3年~


差別・排外主義にNO! 4・14講演会


世界―日本のレイシズムの現在を考える


4月14日(土)

開場 午後1時

開始 午後1時半~4時半

南部労政会館JR大崎駅南改札口から徒歩5分)5会議室


第一部 講演会

一橋大学准教授 森 千香子さん

Video 『朝鮮高校へ即刻無償化の適用を!』

第二部 パネルディスカッション

森千香子さん/佐野通夫さん/安田浩一さん/当連絡会より

パネリストProfile

森千香子さん

一橋大学准教授/「グローバル化社会に置ける「階層社会」の再編成」研究

佐野通夫さん

「高校無償化」からの朝鮮学校排除に反対する連絡会、こども教育宝仙大学教授 

安田浩一さん

『週刊宝石』記者、月刊誌記者などを経て、2001年よりフリージャーナリストとして活動。
新著に『ネットと愛国--在特会の「闇」を追いかけて』(4/19発売 当日購入可能)




2012年2月11日土曜日

Column No.02 「いちに現場」 By:信濃

-----いちに現場-----
By:信濃      
こんにちわみなさん「差別・排外主義に反対する連絡会」です。

会では「コラム」をスタートさせることになりました。「連絡会は」は、かれこれ3年間ほど活動してきました。でも、まだまだ「ヨチヨチ歩き」です。だからと言って、いつまでもこの状態でいるわけにはいきませんし、「ヨチヨチ歩き」ではいられない社会になっています。

 「差別・排外主義に反対する」「連絡会」です。「名に恥じない活動」になっているのか、どうか。不安な面もありますが・・・・。ありますが活動を進めています。
 
私たちの会は、「差別・排外主義から解放された人々」によって作られたわけではありません。
 あえて言えば「差別・排外主義にまみれている」からこそ、それを克服するために活動しているのです。
 「行動する保守」を名のる団体が、差別・排外主義を繰り返しています。私たちは彼らを許しませんし、彼らを見過ごすわけにはいきません。
 彼らの攻撃対象とされている団体と「よりそって」、攻撃者と対決し対峙し、彼らの行動を「後退」させ「遠ざけ」てきました。
 このような行動によって、少しずつでも「攻撃対象」にされている団体との「距離」がなくなりつつあります、と言うか「短くなっている」と言えます。
 このような活動によって、彼らを社会的に「包囲」し「孤立」させていく事に繋がると確信しています。
 
「包囲」「孤立」させていくためにも、彼らの行動に対し「沈黙」を守って「支持・協力・黙認」している人々、団体に対する活動の強化が必要です。
 「沈黙」をしてはいけない、声を上げよう、仲間に手を出させるな、と。
 
「連絡会」は、尻込みをせずに一歩を踏み出してきました。
 集会を開催し、デモをやり抜いてきました。集会防衛行動もやり抜いてきました。
 まずは、現場に飛び込んでいく勇気があればなんとかなる、と思うのですが。どうですか、みなさん

2012年2月6日月曜日

Column No.01 「排外主義と闘いつつとらえかえすこと」 by 直

-----排外主義と闘いつつとらえかえすこと-----
By:直       

 1971年にヒットしたジョン・レノンのImagin は、今に至るもずっと歌い継がれている。国境もなく、人類が兄弟・姉妹のように分かち合って生きる世界を目指すことが歌われている。
しかし、この間にも、アフガニスタン、イラクなど、大規模な侵略戦争が行われてきた。また、ヨーロッパでもアメリカでも、排外主義の高まりの状況がある。そして、日本でも在特会などの排外主義運動が行われるようになった。

 なぜこのような排外主義が起こってくるのだろうか。国家政策として、国家間競争をあおるため、不況による政府への不満をそらすため、あるいは、戦争に駆り立てるために、愛国主義と排外主義があおられる。日本では、在特会の登場以前に、「日の丸・君が代」の押しつけがあり、また、日本の侵略を肯定するつくる会の教科書の登場があった。
 さらにそれ以前に、外国からきた人々に対して、自分たちの共同体とは異質な存在であり、「何をするかわからない存在」という日常的な意識にしみついた差別・排外主義の感情があるようにも思う。
考えてみれば、日本にきている外国人の多くが生きるための仕事を求めてきている。それは、日本人の中で、都市部から離れた地域の人々が都市に働きにきているのと同じようなことだ。日本語の壁などを考えると、外国からきた人々がどれほど苦労するかは明らかなことだ。まして、難民として来ている人々の苦労はいかばかりだろう。そうした人々の状況に思いをいたせないわたしたちの感性はどうなってしまっているのだろうか。
 
 わたしの友人のカメラマンがバングラデシュの農村を取材にいったときの話を聞いたことがある。初めて会う人たちがそれぞれ「どこへいくんだ?飯は食ったのか?」と聞いてくるというのだ。そんな言葉に誘われて、家におじゃますると、普段その人たちが食べているものよりも良いご馳走をしてくれる、というのだ。かなり親しくなれば、普通の家庭料理が食べられるそうなのだが。
 こうした風習は、かつて様々な地域にあったようである。しかし、現代資本主義文明の真っ只中で生きているわたしたちは、こうした感覚を失ってしまっている。原発事故の中で、現代文明のとらえかえしが迫られているわたしたちだが、排外主義という観点からも近現代文明のとらえかえしが必要なのではないだろうか。

 排外主義行動を行う人々の仲には、いろいろな傾向があるようだが、私たちが直面してきた在特会は自らを保守と言う。その言動は激しく、私の持つ保守イメージとは異なるのだが。確かに、日本で最大の特権を持っているアメリカには抗議せず、「原発の火を消すな」というに至っては財界とも大して変わりのない思想だ。自分たちがきっかけをつくって、人を警察に逮捕させて喜ぶ様は、旧来の右翼の人々の中にも顔をしかめたくなる人がいるのではないだろうか。かつての暴走族だって、これほど警察といちゃつくことは恥じたのではないだろうか。
強きにへつらい、弱きをいじめる。日本の庶民感情としてあるといわれる判官びいきとは全く異なる。もちろん、この判官びいきが排外主義の前には、しばしば失われてしまうことがあるのだが。

関西の人たちの話では、「在特会が押しかけてくるというと、集会に多くの人が集まり高揚する」との話を聞いていたが、関東でも昨年12月14日の「日本軍慰安婦」問題での外務省包囲行動は、そのような状況がつくられたのではないかと思う。そうやって包囲していくことが最も重要だろう。
そして、国家政策としての排外主義とも闘い、同時に、在日や滞日など様々な人々と交流して行きたいとおもう。

 わたしはこれまで、「障害者」解放運動にかかわってきた。そんな中で、様々な立場の外国人とされる「障害者」とであってきた。そうした人々から学ばせてもらったことは本当にかけがえのないことばかりだ。
あらゆる民族や階層の中に「障害者」はいる。彼・彼女たちは、それぞれの重荷を日本人「障害者」とは異なって持っている。彼・彼女たちと友人であり続けるためには、民族差別とも闘う以外にはない。
 また、資本主義の中心的な国々の中で、民族排外主義が強まるのと並行するかのように、「精神障害者」を「危険な者」として排除する傾向、重度の「障害者」や病人のいのちをきりすてようとする動きが強まっていることも事実だ。
 人が生きることを最も大事なこととして、そのために世界を分かち合う。そこに向かって少しでも進めたら、と思う。