2012年12月21日金曜日

差別・排外主義にNO!1・26講演集会

差別・排外主義にNO! 1・26講演集会
<バッシング>と差別・排外主義を考える

跋扈(ばっこ)する<バッシング>現象と<在特会>現象ーその関係とは?
通底する問題とは?
背景にある構造とは?…



日時:1月26日(土) PM6:00~

場所:豊島区民センター4F
講演:森 達也さん
資料代: 500円
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 森達也さんプロフィール
1986年 テレビ番組制作会社に入社。デビュー作は小人プロレスのテレビドキュメント作品。以降、数々の作品を手がける。
1998年 オウム真理教の荒木浩を主人公とするドキュメンタ リ-映画『A』を公開。
2001年 続編『A2』が、山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。現在は執筆が中心。
近著に、『A3』、『僕のお父さんは東電社員です』、『311を撮る』(共著)などがある。
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皆さんご存知の様に、この数年来、「在特会」勢力は至る所で、「妬み」等の劣情を刺激し、差別・排外主義を煽り、「在日」等の当事者に対し脅迫、妨害、襲撃の蛮行を繰り広げています。そして、ネットの映像でそれを見て拍手喝采し、「スカッと」する多くの人々が存在します。
また、一方で、この国では、いわゆるバッシングが跋扈しとどまることを知らない社会現象になっています。集中砲火のターゲットになった事例は、「オウム信者」、「イラク人質若者ボランティア」、「光市事件弁護士」、「オーバーステイ外国人」、「朝鮮学校」、「公務員」、「生活保護受給者」等々とちょっと思い浮かべるだけでも枚挙にいとまがありません。バッシングに血眼になるテレビ、マスコミとそれに拍手喝采し、「スカッと」する多くの国民の「共犯関係」の構図が浮かび上がります。更に、政治家までも人気取りのためかバッシングの急先鋒としての役割を演じている有り様です。

私達は、これまで、「震災下」、「ヘイトクライム」、「世界のレイシズ」等の視点から、<在特会>勢力ー差別・排外主義について考える集会をささやかながら開催してきました。それは、差別・排外主義について様々な視点、角度から考え深めることが、それを社会的に包囲し封じ込める大きなうねり=様々なスタンス、問題意識の人々による広範なネットワーク作りの足がかりになれば、と考えるからです。

さて、今回、私達は、『<バッシング>と差別・排外主義』と銘打ち、講演ー討論の場を設けることにしました。
その意図は、「<在特会>勢力の登場とそれに拍手喝采する多くの人々の存在は、<バッシング>現象とどのように関係しているのか?」、更に言えば、「この国の深部に歴史的に連綿と巣くう差別と排外主義が<バッシング>現象の背後に横たわり、それを支え、そして、<在特会>勢力は意図の有無は別として、「巧み」にその構造に乗じてきたのではないか?」等、これらの問題を講師の提起を受け皆さんと共に考え、探っていければと考えます。

皆さん、1月26日集会に是非とも参加してくださるようお願いします。

2012年12月16日日曜日

Column No.03  「ある会議の情景」 By 梅


「私たちの連絡会は、やはり数年前の蕨でのカルデロン一家、とくに中学生のN子さんに対する憎悪と醜悪さに満ちた在特会たちの嫌がらせに対する怒りから出発しているのだと思います。それは弱い立場に立たされた人間に対するほとんどいじめにも類する、とても卑劣な攻撃でした。しかし、それはそうであるけれども、だからといって私たちは彼らと同じスタイルでの対抗的行動を延々と政治的にやればいいということではないと私は思います。たとえ、そうしたデモンストレーションを繰り返しやったとしても、それは苦悩する当事者についに届くことのない身勝手な部外者の闘いであると思うのです。むしろ問題はさまざまな隠された小さなところで、限りなく進行する差別と迫害の現実に無力でありながらも、どのようにともに連携していけるのかという、そんな繋がりが問われていると思うのです。だから私たちは、パフォーマンスに対するパフォーマンスではなく、延々と続くこの私たちの地のおぞましい状況を、具体的なところからなんとかしたいとおもってここに集まっているのではないでしょうか。たとえそれが無力なものではあっても、やはりかすかな声は私たちでも出せるのだ。私たちの声のつながりを求める闘いはやはりそこにあるのではないでしょうか」

 Aさんが訥々と語る。その一つ一つの言葉にぼくは目を伏せながらある種の暗い思いを持ちながらもうなずく。そう、そうなんだ、それこそが僕たちの出発点だったのだ。それにしても、このある種の絶望感は何なんだろうかと自問する。
多分、私たちはとてつもなく困難な敵対者に遭遇し続けている。第一に、およそ「良心」というようなカテゴリーがまったく通用しない者どもに僕たちは対峙しているのだ。彼らの陰湿な精神は、あたかも影でいじめを楽しむような、そうしたひそやかな匿名性の愉悦に彩られている。これまで、口にすることもはばかれた言葉が跋扈している。つまり最後の良心がついに失われた地点で罵言が吐き出され、そのカタルシスに匿名性のネット右翼は酔いしれる。これは差別の状況の中でいつも見られた光景だ。そう、いつも繰り返されてきた光景なのだ。よく見つめてみるべきだ。

 差別や排外主義が跋扈するとき、特徴的な傾向がある。迫害された人間たちの沈黙と、迫害する人間たちの饒舌という非対照的な対比だ。ひとはひとを傷つけたとき、いくらでも傷つけたほうはそのことをリセットできる。しかし、傷つけられた沈黙者は、どのような言葉の展開が巡ろうと、そのことのうちにとどまり続ける。つまりその「裂け目」はどのような言い繕いがあろうとも残り続けるということだ。

 Aさんはこうも言っていた。「私たちは迫害される人を助けるために活動しているのではない」と。そう、この社会での不当なことにたいして、声高に「正しいこと」を叫ぶ前に、僕たちはそれを作り上げている僕たちの日常と闇に目を向けなければならないのだ。そうして、もし、苦難の中で悔しさと憤りを刻印されながらも、しかしなお「沈黙と沈思」にある友があったとしても、私たちはその「沈黙の闘い」にこそナイーブに反応し、傍らに佇まければならないのだ。なぜなら、その沈黙は私たちのものでもあったからだ。そしてもっと大事なのは、それは非対称的なもの、一方的なものではなく相互的なものでなければならない。佇んでいるつもりが、実は佇まれているということにひとは気づくべきなのだ。ひとは深刻な状況にあるとまず黙る。考える。解決は遠い。それでもなお、ひとは声を出す。なぜか。簡単なことだ。それだけ社会が腐っているからだ。スローガンには注意しなければならない。私たちは白馬の騎士ではない。登録商標には注意しなければならない。正しいことには気をつけなければならないのだ。

おおむね表現することが苦手な僕らのミーティングであったのだが、突然に前回のコラムに書いた信濃さんの言葉がぼくの脳裏に浮上する。それにはこうある。
「あえて言えば『差別・排外主義にまみれている』からこそ、それを克服するために活動しているのです。」
すがすがしい言葉だ。そして闘うことの意味としてぼくの情感にグサリとくる。
ひとを傷つける「快感」に比べれば、「良心」などというものはおそらく何ほどもひとをひきつけるものではないだろう。「通邸不能」という言葉が真っ先に鳴り響く。それでもやはり僕らはある最後の砦の上に屹立する必要があるのだ。私は通俗的でありいつでも憎しみの世界に陥落しやすい。でも多くの人がののしりの快感に酔いしれたとしても、100人のうちの一人であれ、私は孤立してもいいと思う。最近映像を作ろうとしているのだが、そこでは昔なつかしサルトルを引用した。

「彼らは憎悪を選んだ。憎悪がひとつの信仰となった。言葉と理性をはじめから無価値にすることを選んだのである。」(サルトル『ユダヤ人問題』)

2012年9月26日水曜日

「差別排外主義にNO! 9・23行動 2nd」行わる!


 昨年に引き続き、今年も9月23日に「生きる権利に国境はない! 私達 の仲間に手を出すな! 差別・排外主義にNO! 9・23行動 2nd」」とした集会とデモが行なわれました。東京は冷たく強い雨でした。激しい雨のなか西戸山公園に足を運んでくれた参加者は、これまで色々な機会に交流を重ねてきた人、ビラやネット の告知を見て初めて足を運んでくれた人、総勢130名。かなりの雨でスタッフは少人数でのデモを覚悟していましたが、その困難な条件のもと多くの心ある仲間が集まってくれました。
 デモに先立ち集会が開催され、主催者である差別・排外主義に反対する連絡会の仲間から、この一年間、在特会など「行動する保守」勢力による在日朝鮮人など在日外国人への差別・排外主義に満ちた攻撃がやまないばかりか、日本社会の閉塞状況、不況、社会不安の増加によって更に増長し、最近では反原発運動への敵対行動も目立ち、また、大久保地域への執拗な嫌がらせ行動などが続いており、本日の行動は単にこの地域をデモするだけでなく、地域の外国人へ私たちのメッセージを届け、交流の場としよう、という意義が提起されました。
 次に、この集会・デモに賛同する団体からの発言がありました。差別や排外主義が吹き荒れるそれぞれの現場からの発言が続きました。いまだに差別的扱いが続く高校無償化問題からは「「高校無償化」からの朝鮮学校排除に反対する連絡会」、渋谷地域における急激な野宿者排除の嵐にさらされる「のじれん(渋谷・野宿者の生活と居住権をかちとる自由連合」、天皇・靖国問題で右翼からの攻撃にさらされる「反天皇制運動連絡会」、朝鮮人従軍慰安婦問題を取り上げた安世鴻さん写真展で数度にわたる妨害にさらされ続けた「『重重』市民でつくる写真展in練馬実行委員会」、川崎地区で慰安婦問題を問い続ける「日本軍「慰安婦」問題の解決を求める市民の会」、そしてなお生活困窮者の排除がつづく荒川や墨田の仲間たちからの問いかけとして「荒川・墨田・山谷&足立実行委員会」や「竪川河川敷公園」からの野宿者排除に反対する発言があり、最後にこの日本の地に逃れてきたビルマやエチオピアそのほかの多くの難民問題を踏まえた「難民を支援し連帯する会」からの発言がありました。
 「今回のデモの 目的は私達の連帯のメッセージを地域に届ける事」と意思一致をした後にデモは出発。デモコースは多くのコーリアン・ショップがひしめく大久保通り、そして明治通りを経由してここにも韓国ショップが多くある職安通りをシュプレヒコールを挙げながら進みました。この一帯は韓国をはじめ、南アジア、アフリカ等のエスニックな店が並んでいます。日本人とオールドカマー、ニューカマーが共に働き暮らす街です。しかし最近では毎週のように差別・排外主義的なメッセージを掲げたネット右翼たちの嫌がらせデモが続いており、住民たちはこの嵐に「沈黙」で応じる事を強いられています。私達はデモに先立つ一週間ほど前に、この地域の人々と知り合い、デモの趣旨を説明しメッセージを伝えるためにビラとリーフレットを手に店々を回りました。さまざまな反応がありました。多くがニューカマーの人々ではありましたが「朝鮮人はでていけというのはまだ我慢できる、しかし朝鮮人は殺せという罵言は許せない」、そんな憤りがすべての実情をあらわしていました。私たちのデモや活動の説明をすると「じゃあ店の中にビラを預かろう。30枚くらいあるかい?」との申し出も。こうした事前の訪問もあって、土砂降りのなかにもかかわらず沿道からは多くの人たちが好感の意をもって私たちを迎えてくれたようでした。ネット右翼たちが店に因縁をつけワゴンを蹴飛ばしても警察はそれを許してきたという現実があります。そのことに対するやり場のない憤りというものが大久保の町に蔓延しているのではないかという思いがスタッフの脳裏に去来します。
 とりわけ「尖閣」や「竹島」という領土問題で急激に国家間ナショナリズムによる対立があおられている現状です。そんなきな臭い状況の中で、私たちは憎しみのナショナリズムに屈することなく、連帯の声を大久保の町に上げるべくデモを行いました。もちろん、私たちはその町に押しかけるのではなく、差別・排外主義に反対する者たちがなお「ここにいる」という存在の連帯性を証明するために行動したのでした。事前の訪問では「尖閣や竹島問題なんてのは政治家が勝手にあおっているので私たち民衆には関係ない」と、こちらが何も言わないのに切り出した店主は、丁寧にも店の入り口まで送ってくれるという一幕もありました。
 土砂降りの大久保の町にシュプレヒコールが響き渡ります。「외국인을차별하지마 ウェグギヌルチャビョラヂマラ! 外国人を差別するな!」。そしてプラカードには「살아가는 권리에 국경은 없다! サラガヌン クオルリエ クッキョングン オプタ 生きる権利に国境はない! 」。私達のビラには日本語以外に中国語、ハングル、ベンガル語でメッセージが綴らました。
 デモはつつましくも大きな目標を達成して無事に終了しました。参加された皆さん、ありがとうございました。そして参加できなかった皆さんにも、ここに熱い「連帯の思いを伝えたいと思います。私たちは誰でもが参加できる、しかしいま声をあげねばならない本質的な問いに導かれて、今後もさまざまな試みを行っていきたいと思います。
 私達はなお気を緩めることができません。デモの翌週には池袋で中国人に対する外国人排外を訴えるデモが行われ、同じ日に大久保のタウンが再び攻撃にさらされる事態が発生してます。「お前ら出て行け」「ぶっ殺すぞこの野郎」、そうした聞くに耐えない罵言をまきちらす愚かしいネット右翼たちは、しかしその騒々しいパフォーマンスにもかかわらず、この社会の背後に進行する深刻な差別・排外主義の「露払い」に過ぎないのだと私たちは考えます。そうした「前景」の背後には、連綿と続くわれわれの地のおぞましくぬぐいがたい現実が横たわっていること、そうした不気味な「後景」をうつことこそを私たちは望みます。
 無関心と沈黙、そして惰性こそがこの社会の退廃と解体を準備するのではないかということ、気づいたときには「それは」私たちの玄関前にきてしまっているのだということ、そんな歴史的教訓を踏まえつつ、私たちは訴えます。
 「やつらを通すな! NO PASSARAN!」
 私たち自身のために。そして多くの不可視の、まだ見ぬ連帯のために。
 
      2012年9月 
 

差別・排外主義に反対する連絡会
http://noracismnodiscrimination.blogspot.jp/
Email:hannhaigaisyugi@gmail.com

画像

2012年8月21日火曜日

差別排外主義にNO! 9・23行動 2nd

2012.9.23(sun) 東京・高田馬場/西戸山公園(馬場駅から5分線路沿い 旧寄せ場)
集合 PM1:00 デモ出発 2:00~
会場が変更になりました。ご注意ください。
チラシ
誰にでも、生きる権利がある。
どこででも、生きる権利がある。
私たちは、隣人と手をつなぐ。何人の排除も許さない。
差別・排外的暴言や暴力には、私たちのスクラムで向き合おう。合言葉は、
「生きる権利に国境はない!」
「私たちの仲間に手を出すな!」

 
各国語
私たち差別・排外主義に反対する連絡会は、昨年9月23日(金)新宿柏木公園から大久保地域を貫くデモを、9・23行動に賛同する160名の仲間とともに勝ち取りました。
 デモコースは飲食店に働く外国人の仲間が多く、在日やニューカマーの経営する店舗が多い地域です。「在特会」のデモで食堂に嫌がらせが行われた地域でもあります。当日は私たちのデモに、在住の方や通行人からのさまざまなエールも寄せられました。
 いま周りを見渡せば、いまだに朝鮮学校への高校無償化適用除外や補助金打ち切りが続いています。差別暴言を撒き散らしながら居座る石原都知事や橋下・大阪維新の会の躍進など、レイシスト・ファシストとも言うべき輩の増長は目に余るばかりです。
 「在特会」「排害社」らは、「反日左翼から原発を守れ」と経産省テント前に登場し、この間は沖縄の辺野古テントをも攻撃対象としてデモを仕掛けています。先日は生保問題に関する新宿駅南口情宣でたまたま通りかかった男性に集団暴行を働くなどの蛮行がニュースになりましたが、京都朝鮮第一初級学校襲撃事件や徳島県教組抗議行動に引き続き、ロート製薬の本社抗議行動でも逮捕者を出すなどしています。
 こうした中で、私たちは、今年も「生きる権利に国境はない!私たちの仲間に手を出すな!差別・排
外主義にNO! 9・23行動 2012 2nd」を呼びかけます。
 心ある仲間たちの大きなスクラムで社会的包囲網を形成し、ヘイトスピーチや差別・排外主義の温床を根絶やしにしていく取り組みを、一人一人の力で成功させたいと思います。
ぜひご注目と参加をお願いします。


 プラカード:ハングル

プラカード:中国語
 プラカード:バングラ


会場地図


2012年7月10日火曜日

「生きる権利に国境はない!私たちの仲間に手を出すな! 差別・排外主義にNO! 9・23行動」2nd 趣意書


<趣意書>

私たち差別・排外主義に反対する連絡会は、昨年9月23日(金)、「生きる権利に国境はない!私たちの仲間に手を出すな!差別・排外主義にNO!」を合言葉に、新宿柏木公園から大久保地域を貫くデモを、9.23行動に賛同する160名の仲間とともに勝ち取りました。
デモコースは飲食店に働く外国人の仲間が多い地域、在日やニューカマーの経営する店舗が多い地域です。「在特会」のデモで食堂に嫌がらせが行われた地域でもあります。だからこそ私たちは「差別・排外主義にNO!」「生きる権利に国境は無い」「私たちの仲間に手を出すな」というメッセージを掲げ、当事者を含む多くの人々にこうした声が届くようにコースを選定したのでした。
また、当日の行動に先がけて、18日(日)に職安通りの店を中心に訪問し、各国語のメッセージの入ったビラを配布して9.23行動の紹介をしながら交流をしました。
当日は、新宿西口の小田急ハルク付近の歩道で、ビラを受け取った女性がデモの隊列に 入っていきました。また、靖国通りでは外国人女性2人が15分ほどデモに加わったり、多言語のプラカードに目を向ける人々もいたりと様々な反応がありました。デモ隊のメッセージに 耳を傾ける人、ビラに目を通しカバンにそっとしまう人、デモ隊に駆けより「差別は反対です!頑張って下さい」とエールを送ったり手を振る人、ずっとデモ隊に併走してくれた料理店の従業員、店舗の前やビルの窓から手を振る人達。私達のデモは、地域に在住する仲間たちをはじめとして、多くの人々にメッセージを届ける事ができました。
しかしながら、いま周りを見渡せば、政府・地方自治体では、いまだに高校無償化の朝鮮学校への適用除外、朝鮮学校への補助金打ち切りや凍結が続いています。差別暴言を撒き散らしながら居座る石原都知事や「ハシズム」なる造語を生み出した橋下・大阪維新の会の躍進など、レイシスト・ファシストとも言うべき輩の増長は目に余るばかりです。
「在特会」「排害社」らのいわゆる「行動する保守」は、「反日左翼から原発を守れ」とますます反原発運動への憎悪と敵対をあらわにして経産省テント前に登場し、この間は沖縄の辺野古テントをも攻撃対象としてデモを仕掛けています。先日は生活保護問題に関する新宿駅南口情宣活動で、たまたま通りかかった男性に集団暴行を働くなどの蛮行がニュースになりましたが、京都朝鮮第一初級学校襲撃事件や徳島県教組抗議事件に引き続き、ロート製薬の本社抗議事件でも逮捕者を出すなどしています。
他方で田母神グループなどのフジテレビへの“韓流抗議”のデモなどの流れもあり、3.11東日本大震災をうけた「頑張れ日本!」の掛け声に乗じて、ナショナリズムと排外主義の基盤が醸成されていく風潮に警鐘を鳴らし続けることもまた大切になっています。
こうした中、私たち「差別・排外主義に反対する連絡会」は、昨年の9.23行動の取り組みを踏まえて、朝鮮学校高校無償化や「従軍慰安婦」問題に関する文科省・外務省包囲行動・集会などの防衛行動を当事者団体と連帯・協力して担いながら、「京都朝鮮第一初級学校襲撃」事件の裁判傍聴などの活動を積み重ねてきました。また、昨年12月9日に、前田朗さん(東京造形大学教授)をお招きして「差別・排外主義にNO!12.9講演会~日本―世界におけるヘイトクライムの現在を考える」を開催し、今年の4月14日には、森千香子さん(一橋大学准教授)の講演とパネルディスカッション「差別・排外主義にNO! 4.14講演会~日本―世界におけるレイシズム(民族差別)の現在を考える」を開催してきました。そして私たちは、昨年の9.23行動のような取り組みを一過性のものに終わらせずに、毎年積み重ねて行くことを確認してきました。

上記のような趣旨と経過から、今年も「生きる権利に国境はない!私たちの仲間に手を出すな!差別・排外主義にNO!9.23行動 2nd」を取り組みます。
地域・現場でさまざまな取り組みをしてきた仲間たちとともに、差別・排外主義の跳梁跋扈を許さず、社会的包囲網をつくりだしていくために、多くの皆さんの参加を呼びかけます。 
昨年は実行委員会形式で呼びかけましたが、今年は連絡会としての呼びかけで、広く賛同をお願いします。ぜひ多くの団体・個人の賛同をよろしくお願いします。

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「生きる権利に国境はない!私たちの仲間に手を出すな!
差別・排外主義にNO! 9・23行動」への賛同およびカンパのお願い
 (9月23日・日曜 場所:高田馬場・西戸山公園 13時集合 14時からデモ)


○ 9・23行動賛同カンパ   団体 1口 1000円
                個人 1口  500円

○ゆうちょ銀行・振込口座番号:00200-5-38572
口座名義人: 差別・排外主義にNO!9.23行動
※ ATMでお振り込みされると、口座名義人が「フォーラムS-16」と自動表示されますが、間違いではありません。そのまま手続きをお進め下さい。 
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○「生きる権利に国境はない!私たちの仲間に手を出すな!
       差別・排外主義にNO! 9・23行動」に賛同します。


団体または個人:                           

ビラ、連絡会ブログなどへの公表: 可 / 不可 (どちらかに○をつけてください)

連絡先(住所、メールアドレス、FAXなど):


※メールでのご賛同は hannhaigaisyugi at gmail.com まで。

2012年2月24日金曜日

「世界―日本のレイシズムの現在を考える」4・14講演会

生きる権利に国境はない!

私達の仲間に手を出すな!

~埼玉フィリピン人一家嫌がらせ事件から3年~


差別・排外主義にNO! 4・14講演会


世界―日本のレイシズムの現在を考える


4月14日(土)

開場 午後1時

開始 午後1時半~4時半

南部労政会館JR大崎駅南改札口から徒歩5分)5会議室


第一部 講演会

一橋大学准教授 森 千香子さん

Video 『朝鮮高校へ即刻無償化の適用を!』

第二部 パネルディスカッション

森千香子さん/佐野通夫さん/安田浩一さん/当連絡会より

パネリストProfile

森千香子さん

一橋大学准教授/「グローバル化社会に置ける「階層社会」の再編成」研究

佐野通夫さん

「高校無償化」からの朝鮮学校排除に反対する連絡会、こども教育宝仙大学教授 

安田浩一さん

『週刊宝石』記者、月刊誌記者などを経て、2001年よりフリージャーナリストとして活動。
新著に『ネットと愛国--在特会の「闇」を追いかけて』(4/19発売 当日購入可能)




2012年2月11日土曜日

Column No.02 「いちに現場」 By:信濃

-----いちに現場-----
By:信濃      
こんにちわみなさん「差別・排外主義に反対する連絡会」です。

会では「コラム」をスタートさせることになりました。「連絡会は」は、かれこれ3年間ほど活動してきました。でも、まだまだ「ヨチヨチ歩き」です。だからと言って、いつまでもこの状態でいるわけにはいきませんし、「ヨチヨチ歩き」ではいられない社会になっています。

 「差別・排外主義に反対する」「連絡会」です。「名に恥じない活動」になっているのか、どうか。不安な面もありますが・・・・。ありますが活動を進めています。
 
私たちの会は、「差別・排外主義から解放された人々」によって作られたわけではありません。
 あえて言えば「差別・排外主義にまみれている」からこそ、それを克服するために活動しているのです。
 「行動する保守」を名のる団体が、差別・排外主義を繰り返しています。私たちは彼らを許しませんし、彼らを見過ごすわけにはいきません。
 彼らの攻撃対象とされている団体と「よりそって」、攻撃者と対決し対峙し、彼らの行動を「後退」させ「遠ざけ」てきました。
 このような行動によって、少しずつでも「攻撃対象」にされている団体との「距離」がなくなりつつあります、と言うか「短くなっている」と言えます。
 このような活動によって、彼らを社会的に「包囲」し「孤立」させていく事に繋がると確信しています。
 
「包囲」「孤立」させていくためにも、彼らの行動に対し「沈黙」を守って「支持・協力・黙認」している人々、団体に対する活動の強化が必要です。
 「沈黙」をしてはいけない、声を上げよう、仲間に手を出させるな、と。
 
「連絡会」は、尻込みをせずに一歩を踏み出してきました。
 集会を開催し、デモをやり抜いてきました。集会防衛行動もやり抜いてきました。
 まずは、現場に飛び込んでいく勇気があればなんとかなる、と思うのですが。どうですか、みなさん

2012年2月6日月曜日

Column No.01 「排外主義と闘いつつとらえかえすこと」 by 直

-----排外主義と闘いつつとらえかえすこと-----
By:直       

 1971年にヒットしたジョン・レノンのImagin は、今に至るもずっと歌い継がれている。国境もなく、人類が兄弟・姉妹のように分かち合って生きる世界を目指すことが歌われている。
しかし、この間にも、アフガニスタン、イラクなど、大規模な侵略戦争が行われてきた。また、ヨーロッパでもアメリカでも、排外主義の高まりの状況がある。そして、日本でも在特会などの排外主義運動が行われるようになった。

 なぜこのような排外主義が起こってくるのだろうか。国家政策として、国家間競争をあおるため、不況による政府への不満をそらすため、あるいは、戦争に駆り立てるために、愛国主義と排外主義があおられる。日本では、在特会の登場以前に、「日の丸・君が代」の押しつけがあり、また、日本の侵略を肯定するつくる会の教科書の登場があった。
 さらにそれ以前に、外国からきた人々に対して、自分たちの共同体とは異質な存在であり、「何をするかわからない存在」という日常的な意識にしみついた差別・排外主義の感情があるようにも思う。
考えてみれば、日本にきている外国人の多くが生きるための仕事を求めてきている。それは、日本人の中で、都市部から離れた地域の人々が都市に働きにきているのと同じようなことだ。日本語の壁などを考えると、外国からきた人々がどれほど苦労するかは明らかなことだ。まして、難民として来ている人々の苦労はいかばかりだろう。そうした人々の状況に思いをいたせないわたしたちの感性はどうなってしまっているのだろうか。
 
 わたしの友人のカメラマンがバングラデシュの農村を取材にいったときの話を聞いたことがある。初めて会う人たちがそれぞれ「どこへいくんだ?飯は食ったのか?」と聞いてくるというのだ。そんな言葉に誘われて、家におじゃますると、普段その人たちが食べているものよりも良いご馳走をしてくれる、というのだ。かなり親しくなれば、普通の家庭料理が食べられるそうなのだが。
 こうした風習は、かつて様々な地域にあったようである。しかし、現代資本主義文明の真っ只中で生きているわたしたちは、こうした感覚を失ってしまっている。原発事故の中で、現代文明のとらえかえしが迫られているわたしたちだが、排外主義という観点からも近現代文明のとらえかえしが必要なのではないだろうか。

 排外主義行動を行う人々の仲には、いろいろな傾向があるようだが、私たちが直面してきた在特会は自らを保守と言う。その言動は激しく、私の持つ保守イメージとは異なるのだが。確かに、日本で最大の特権を持っているアメリカには抗議せず、「原発の火を消すな」というに至っては財界とも大して変わりのない思想だ。自分たちがきっかけをつくって、人を警察に逮捕させて喜ぶ様は、旧来の右翼の人々の中にも顔をしかめたくなる人がいるのではないだろうか。かつての暴走族だって、これほど警察といちゃつくことは恥じたのではないだろうか。
強きにへつらい、弱きをいじめる。日本の庶民感情としてあるといわれる判官びいきとは全く異なる。もちろん、この判官びいきが排外主義の前には、しばしば失われてしまうことがあるのだが。

関西の人たちの話では、「在特会が押しかけてくるというと、集会に多くの人が集まり高揚する」との話を聞いていたが、関東でも昨年12月14日の「日本軍慰安婦」問題での外務省包囲行動は、そのような状況がつくられたのではないかと思う。そうやって包囲していくことが最も重要だろう。
そして、国家政策としての排外主義とも闘い、同時に、在日や滞日など様々な人々と交流して行きたいとおもう。

 わたしはこれまで、「障害者」解放運動にかかわってきた。そんな中で、様々な立場の外国人とされる「障害者」とであってきた。そうした人々から学ばせてもらったことは本当にかけがえのないことばかりだ。
あらゆる民族や階層の中に「障害者」はいる。彼・彼女たちは、それぞれの重荷を日本人「障害者」とは異なって持っている。彼・彼女たちと友人であり続けるためには、民族差別とも闘う以外にはない。
 また、資本主義の中心的な国々の中で、民族排外主義が強まるのと並行するかのように、「精神障害者」を「危険な者」として排除する傾向、重度の「障害者」や病人のいのちをきりすてようとする動きが強まっていることも事実だ。
 人が生きることを最も大事なこととして、そのために世界を分かち合う。そこに向かって少しでも進めたら、と思う。