2011年11月27日日曜日

差別・排外主義にNO!12・9講演会

生きる権利に国境はない!
私達の仲間に手を出すな!
差別・排外主義にNO!12・9講演会
日本―世界のヘイトクライムの現在を考える
~京都朝鮮第一初級学校襲撃事件から2年
               ヘイトクライムは社会を壊す~


■12月9日(金)
豊島区民センター(池袋駅東口徒歩5分)
第3会議室 開場 午後6時30分
          午後7時~9時
報告 関西水曜デモ現地から
     日本軍「慰安婦」問題関西ネットワーク
■講師 東京造形大学教授
     前田 朗さん
演題 「ヘイトクライム規制は世界の常識」
※ 講演会の後 交流会も予定しています!! 



2009年12月4日白昼、授業中の京都朝鮮第一初級学校が『行動 する保守』を自称する『在特会』等の市民グループに襲撃されました。この事件は生徒、保護者、教職員、地域住民の心に深い傷を残しました。このような行為 は、日本軍元慰安婦の女性達、被爆者、被差別部落の住人、ニューカマー、反原発をはじめとする社会運動、さらには地方議会、地方行政府に対して今も執拗に 繰り返されています。

本年10月28日、大阪高裁で言い渡された京都事件の控訴審(刑事)判決は、被告の控訴を棄却しました。その理由の中で裁判長は「…本件街宣は抗議行動として許容されない態様のものであり…、平日の昼間学校に向かって拡声器を用いての本件街宣は(表現の自由を保障する)憲法21条との関係でも許容されない…」と彼らの蛮行を厳しく断罪しました。
しかし一方で市民の間には「表現の自由を守るためには、人種差別禁止法やヘイトクライム※法については慎重な対応が必要ではないか」との意見も少なくありません。
私たちは社会的少数者に対し街頭やネット空間で執拗に繰り返され、当事者などに対し実行される蛮行を社会的に包囲する取組みを広げる為にも、この議論を回避せず、「ヘイトクライム」に関する最新の研究や各国の政策を紹介して、議論を深める機会が必要だと考えました。
今回私たちは日本の「ヘイトクライム法」研究の第一人者で、内外各地で精力的に発言、活動されている東京造形大学教授の前田朗さんを講師にお招きして講演会を開催します。
私たちは過去に何度も歴史的過ちを経験しました。一つは戦争、もう一つは差別・排外主義です。関東大震災の時にも流言飛語が流され、日本人が多くの朝鮮人を虐殺しました。過去の過ちを乗り越えて、未来を切り開くためにも、真摯に意見を交わすことが今こそ求められているのではないでしょうか。
1人でも多くの皆さんの参加を心よりお待ちしています。

※ 特定の社会的に同一とみなされる集団に属している事を理由に行われる犯罪行為
  主に人種・民族・国民的な差異を理由とし、更に性別や年齢、障害などを理由とする差別とその扇動行為をヘイトクライムといいます。


「差別・排外主義にNO!9.23行動」行われる

「差別・排外主義にNO!9.23行動」が行われました。



→実行委員会からの報告

→差別・排外主義にNO! 9・23行動救援会












→プラカード 1 2 

2011年4月26日火曜日

4.10「震災下の排外主義を考える」集会報告

 東日本大震災から丁度1ヶ月の4月10日、豊島区民センターにおいて「震災下の排外主義を考える フィリピン一家嫌がらせ事件から丸2年~外国人は日本社会の「邪魔者」なのか」集会が開催された。本集会は、昨年春頃より活動してきた当連絡会としての初めての公然とした集会であり、当日「反原発」の大きな集会・デモが行われる(高円寺には1万5千人が集まった!)中で、80名近くの参加者があり、活発な議論が行われた。
 集会に先立って池袋駅前で1時間にわたり情宣活動が行われ、町行く人々に、震災下でも流布されている差別・排外主義的なデマの問題などについて訴えがなされた。
集会では始めに、連絡会から、これまでの活動の報告や「在日特権を許さない市民の会(在特会)」の批判に留まらず、その背景・底流にある日本社会の問題点を撃っていこうという集会の主旨が説明された。
 パネルディスカッションではまず、この間精力的に在特会を取材してきているジャーナリストのYさんから、被災地では、「朝鮮人、中国人の窃盗団が徘徊している」というデマがまことしやかに流されながらも、実際には復興需要を当て込んだ地元の建設会社がガソリン抜き取りを行っていたなど、「善良な市民」が普通に「外国人が~」と語る状況が報告された。また、「日の丸を持った瞬間だけ日本人になれた」という、イラン人を母に、日本人を父に持つ、ある在特会メンバーの屈折した心情が紹介された。
 在日朝鮮人人権協会のKさんからは、大震災下で地元の朝鮮学校も避難所になり、国籍を問わず協力し合っている事実が一切報道されていないこと、民族学校への高校無償化からの排除が大震災のどさくさの中で遂に年度末を迎え、今度は従来から少額ながら実施されていた助成金が、東京都や大阪、被災県の宮城県などで打ち切りになっている動きが報告され、戦後もなお続く日本の植民地主義、差別制度が具体例を挙げて批判された。
 続いて、2年前からいち早く在特会など排外主義勢力との闘いを展開してきたACAN(排外主義と闘う関西ネットワーク)のUさんからは、「在日外国人への参政権付与反対」を掲げて登場してきた在特会のあまりに露骨な姿に戸惑いながらも、時には300名を超える対抗デモによって彼らを「社会的に包囲」してきた経過が報告。そして、街頭行動だけでなく、全国の仲間とのつながりを作っていきたいと、今後の方向性が語られた。
 連絡会のFからは、この1年間、集会やデモの防衛活動を通じて、在特会からターゲットにされた人々の立場をどう守り、どのように繋がっていくのかにこだわってきたこと、人々の関心が原発問題に向き、「日本人はさすがだ」「ニッポン頑張れ」が合唱される状況の中で、ともすれば忘れ去られようとしている在日外国人の権利について今だからこそ考える重要性があると提起された。
 パネラーの報告、問題提起を受けて、ディスカッションに移った。在特会が盛んに「在日は生活保護などで優遇されている」と宣伝している点については、むしろ戦後長く生活保護や健康保険、年金など社会保障から制度的に排除されて来たと批判された。また、今回の大震災で帰国せざるを得なかった中国人研修生の処遇や、水産業で働いていたインドネシア人の多くが行方不明になっている事実が指摘された。
 集会の最後に、連絡会から、更に多くの人々を結集して、大震災下でより一層はびこる排外主義を許さず、有事体制を打ち破る大衆的なデモをやろうと提案され、それを担う実行委員会結成にむけた相談会への参加が呼びかけられた。

2011年4月25日月曜日

許すな! 差別・排外主義



外国人排斥を叫び、差別・排外を煽る「運動」が拡がっている。
人々の内心に潜む劣情を刺激しながら
闇と絶望と憎悪を増殖させるグロテスクな情動を、見逃してはならない。
それは、格差・競争・不公正をよしとするこの社会の土壌で育まれ、はびこるから。
今こそ、その根っこを断つときだ。
生きる権利に国境はない。
一切の排除・排外・排斥を許さず、連帯して立ち上がろう!
私たちの仲間に手を出すな!

NO ! レイシズム
STOP ! 排外主義

●差別・排外主義に反対する連絡会の軌跡

 在特会や主権回復を目指す会など、いわゆる「行動する保守」を標榜する差別・排外主義勢力の跳躍跋扈に対してどういった行動が求められているのか、どういったネットワークが形成できるのか。関西に比べて立ち後れている首都圏の私たちは、2010年の始め頃から議論を積み重ねてきました。
 7月19日には「半公開」ながらも、現場の当事者や問題提起者を招いた初めての集会を開催し、同月30日と12月4日には継続したディスカッションを開催、同じ4日には在特会のデモが行われる渋谷で初めての街頭宣伝活動を行ってきました。
 一方では、在特会の攻撃や妨害が予告あるいは想定される行動・催し物への防衛活動に参加してきました。3・1韓国独立運動記念集会、高校無償化即時適用を求める行動、8月の反靖国キャンドルデモ、反靖国行動、韓国併合百周年を問う新宿デモや日韓共同宣言集会、女性国際戦犯法廷などへの防衛・警備活動、朝鮮大学に対する在特会のデモをにらんだ警備活動、あるいは、彼らがターゲットにしている池袋や秋葉原、上野、川口などの商店街への警戒活動や当事者との交流活動にも積極的に取り組んできました。
 こうした議論と行動を積み重ねながら、メンバーの問題意識・視点の強化と様々な人々との交流・信頼関係作りを進め、連絡会を形成してきています

●私たちの目指すもの
・在特会などに見られる差別・排外主義勢力を社会的に包囲し、日本社会への浸透・拡大を阻止していく。
・彼らから嫌がらせ、攻撃を受けている当事者の意思、立場を最大限尊重し、防衛闘争に参加しつつ、交流・連帯・連携を深め信頼関係を構築する。
・彼らの考え方、意図、歴史認識を批判的に分析し、あるいは情報を交換し、行動に有機的に結びつける。
・差別・排外主義に反対する市民、労働者、学生、文化人、ジャーナリスト、活動家など多くの人々に呼びかけ、幅広い共同行動、ネットワークを形成する。

●目標を達成するための手段・媒体
・分かりやすいリーフレットの作成
・ニュースの定期発行
・資料集の随時発行
・彼らの蛮行を分かりやすく記録した映像の製作
・メーリングリストの充実
・集会やデモ、防衛闘争など大衆的な行動の展開
・継続したディスカッションの開催

2011年4月1日金曜日

Milestone(里程標)No1 テキスト版

もくじ

『Milestone─里程標』創刊にあたって

未来への橋頭保―2013年
差別・排外主義にNO!12.8討論集会報告

Report/ 京都事件判決とこの三年間のあゆみ

No Pasaran(やつらを通すな)!
交わり高揚する怒りそして闘いへの意志
──「許すな!差別・排外主義 9.23ACTION」報告

差別・排外主義に反対する連絡会 主な活動経過抜粋

在特会らによる朝鮮学校襲撃事件に対する
第1回控訴審裁判の報告

■『Milestone─里程標』創刊にあたって

 2013年は、差別・排外主義に反対する運動において画期的な年でした。様々な多くの人々や団体が起ち上がり、まさに社会的包囲網の橋頭堡を築いた年だったと振り返ります。
 しかし、問題はこれからです。この運動を一過程のことに終わらせず、地に足が着いた確かな前進が問われています。
 私たちは、昨年末に討論会を開催しました。そして、今年は、せっかく入り口に着いたばかりの議論をこれで終わらせることではなく、一年を通して討論集会を継続していきたいと考えています。議論の積み重ね、深化を通して、全体の運動の着実な前進に少しでも貢献していくために。
 さて、本誌は、この連続討論集会にタイアップした形で発行していく予定です。つまり、集会ごとにその内容を反映した紙面構成にして、皆さんと討論内容を共有した上で、次の討論会を進めるというサイクルです。本誌が議論の積み重ね、深化に役立てばと考えます。
 次に、エポックとなる動き、運動の報告等も討論の際の前提となるので、随時掲載していきます。
 なお今後の本誌--討論(集会)の豊富化=スラップアップのために。皆さんの率直な感想・意見等をお寄せください。お待ちしています。

■未来への橋頭保―2013年
差別・排外主義にNO! 12.8討論集会報告
<2013年 新大久保・京都判決を振り返って―
何が起こっているのか? 何が問題なのか?>

2013年12月8日、東京・新大久保カウンター行動と京都朝鮮第一初級学校襲撃事件裁判(以下、「京都裁判」)の2つの闘いを中心にして反レイシズム闘争の現状を考える標記集会を開きました。プログラムは次の通りです。

<第一部報告>
・新大久保カウンター行動について
金展克さん(新大久保でのカウンター行動やヘイトスピーチデモの排除を訴える署名活動等を展開)
・京都朝鮮第一初級学校襲撃事件裁判について
金尚均さん(龍谷大教員、裁判闘争を中心で担う)
・2000年以降の差別・排外主義の動向とその背景
当連絡会メンバーFG
・2009年蕨事件以降の連絡会の取り組みと具体的問題
当連絡会メンバーMY
・各報告を受けて
鵜飼哲さん(『インパクション』編集委員)

<第二部パネルディスカッション>
[排外主義勢力との対決と社会的包囲網/攻撃にさらされながら闘う人々との連帯の方法/排外主義廃絶のための法的規制などをめぐって]
パネリスト:金展克さん/金尚均さん/鵜飼哲さん/当連絡会メンバーFG/当連絡会メンバーMY

新大久保カウンター闘争はレイシストのヘイトデモを中止に追い込み、京都裁判闘争は京都朝鮮学校へのヘイトスピーチが民族差別に基づく不法行為であるとの認定と街宣差し止めの判決を引き出しました。東と西で2013年に大きな成果を勝ち取ったこの2つの闘いの取り組み過程と意義について、金展克さんと金尚均さんから語っていただきました。そこからは、在日コリアン当事者の苦闘が大きな運動陣形へ拡大していった様子がわかりました。そしてお二人のお話からは両者がお互いに励まし合うものだったということがわかるとともに、それぞれの成果を今後の闘いに活かしていく道筋を見ることができました。

<重層的な闘い-新大久保カウンター闘争>
「在日特権を許さない市民の会」(以下「在特会」)を始めとするレイシストの新大久保デモは、2012年までは「お散歩」と称して商店街を練り歩いて店や店員に暴力をふるうというやりたい放題の状況でした。それに対して、2013年になってカウンターが始まります。
あまり知られていないことですが、1月のKポップファンによる在特会への抗議メールの集中が出発点でした。それが街頭での直接抗議の誕生につながったそうです。
街頭でのカウンター行動は2月9日の「しばき隊」の登場から始まりますが、「プラカ隊」「知らせ隊」「ドラム隊」「ダンス隊」など、さまざまな表現方法を取る人達が集まって多様なスタイルをとりつつ、人数が一気に膨れ上がっていきます。そして、6月30日には出発地点の公園を包囲してデモをさせない闘いが呼びかけられ、2,000縲・,500人が参加しました。デモそのものを阻止することはできなかったものの、初めてデモコースから大久保通りをはずさせることに成功します。そしてついに、7月7日のデモを中止に追い込んだのです。
中止に追い込んだものは何か?金展克さんは、いろいろな要素が合わさった結果と分析します。2月から7月までのいろいろな取り組みを時系列的に説明して下さったのですが、並行して進められたいろいろな取り組みが、時を追うごとにお互いを強めていった過程がよくわかりました。
大久保地域住民は、デモコースから新大久保地域をはずすように在特会に行政指導をすることを求める署名運動を始めます。これは、15,000筆を超えました。3月上旬には有田芳生参議院議員が中心になって参議院で院内集会を開催し、同下旬には12人の弁護士が人権救済を申し立てます。これをきっかけにマスメディアが事態を取り上げ始めます。3月31日のカウンターでは、大久保通りに設置された商店街の大きなメッセージビジョンで、9人の著名人がヘイトスピーチ反対を訴えました。5月上旬には第2回の院内集会を開催するとともに、参議院の予算委員会・法務委員会で総理大臣と法務大臣に国会質問。安倍首相は「きわめて残念」と答弁。
5月下旬、国連人権理事会勧告が出されるとともに日本弁護士連合会会長が声明発表。これには勇気づけられたという金展克さん。6月、第3回の院内集会が開催されるとともに、署名活動第2弾として、公園使用許可を出さないことを新宿区に求める署名活動を大久保地域住民が始めます。そして7月1日の日韓外相会談では、韓国の外相が新大久保の事態について言及して、ついに「国際問題」になります。これにも勇気づけられたとのことです。
現場カウンター闘争が半年間で一気に社会的包囲による闘いへと拡大していく経過が、金展克さんのお話からよくわかりました。

<京都朝鮮第一初級学校襲撃事件裁判が切り開いた論理的地平>
新大久保を始めとする各地のカウンター闘争は、京都裁判の闘いを支えました。「カウンターが出現することで自分達は精神的に安定しリラックスできた」というのは金尚均さんの言葉。お話によると、2009年12月4日から翌年3月28日までの在特会による3回の学校襲撃時は、保護者と一部の関係者だけで対応せざるをえなかった。「相手にするな」という声も多かったそうです。襲撃を警察は見ているだけで止めないし、裁判所から出された示威活動禁止の仮処分も無視される。警察も司法も自分達を守らないという絶望感の中、孤独な闘いを強いられたといいます。
しかし、刑事告発に赴いた警察署で告発書の受け取りを拒否するかのような露骨な妨害に遭うという事態に直面して、“民族教育の機会を奪おうとする動きに対しては何としても闘わなければいけない”という強い思いから決意を固めて、2010年6月に民事訴訟に踏み切ります。
3年間の裁判闘争の結果、2013年10月7日、京都地裁で勝訴の判決を勝ち取ります。判決は、在特会の行為は人種差別撤廃条約が禁じた人種差別に基づく違法行為であるという画期的な認定をします。その上で、「1.約1,200万円の損害賠償」「2.朝鮮学校周辺で学校関係者への面談強要および学校を誹謗中傷する演説・ビラ配布・徘徊の禁止」、の2つを命令したのです。人種差別に基づく違法行為を認定したことの重要さはもちろんですが、現場の当事者としては「2」の街宣差し止めの意義が大きいと金尚均さんは指摘します。当事者を直接守るからです。
今回の判決は、在特会のヘイト襲撃が個別の生徒や教師という個人ではなく学校全体に損害を与えたと認定した上で、街宣差し止めまで踏み込みました。新大久保のヘイトデモを中止に追い込んだのと同じ地平の結果をもたらしたのです。しかし、ここには法理論上の見過ごせない問題があることを、金尚均さんは指摘しました。今回の判決は学校全体を被害者と認定しましたが、これは「学校法人」としての京都朝鮮第一初級学校です。法人すなわち“法制度上の個人”で、実態や判決の影響はどうあれ、あくまでも「個人」を救済したものなのです。ある集団全体に人種差別が行なわれても、個人に具体的な損害が生じていない場合は損害賠償を命じることはできないという線を、この判決は崩していません。今回の判決をそのまま適用して、新大久保地域全体での街宣差し止めが命じられるかどうかというと難しいのです。個人ではなく属性(民族・性別等)を理由にして差別が行なわれた場合に、それを問題にできる法的な理論が必要というのが、金尚均さんの指摘する課題の第1点です。
課題の第2点は、在日コリアンの民族教育権をきちんと社会の中に位置付けることです。在特会のヘイト襲撃の動機は、在日コリアンの民族教育への敵意です。しかし、判決はこの点は意図的に触れていません。また、「みんなフラット(平等)ですよ」という思考から始まる“基本的人権の尊重”では、在日コリアンへのヘイトクライムが始まる歴史的事情の捉え方が弱い、それが日本社会の弱みになっていると金尚均さんは指摘します。

<2つの闘いをマイルストーンにする>
新大久保カウンター闘争にたくさんの人が決意を持って集まったことがとても貴重なことと前置きして、金展克さんはこれから何をしたらいいかを語りました。「熱量」という表現を使いましたが、その高い熱量があるうちに状況が後戻りできないような「マイルストーン」(注:物事の進み具合を確定させる節目)をきちんと作ることを切実に望んでいるとのことです。具体的には、何らかの法制度を作ること。これが当事者にとっては安心度が高いとのことです。
ここで京都裁判闘争が勝ち取った地平を発展させる方向性が出てきます。法律によるヘイトクライム規制の問題ともつながっていきます。この問題に詳しい師岡康子さんが会場にいらして、話をうかがうことができました。
国会議員の中で2014年にも規制法案を提出する準備が進んでいるが、今の国会状況では成立させることは難しいのではないか。刑事規制は時間がかかるので民事規制(たとえば人種差別禁止法)でヘイトスピーチ規制を入れるという進め方が考えられる。また実現性で言えば、地方自治体で条例等を作ることはやりやすいとのことでした。
どのような方向で進めるにしても、一つ考えなければいけないことがあります。コメンテーターの鵜飼哲さんの指摘です。排外主義の闘いの前面に在日コリアンが出ざるをえない状況を作ってしまったことの問題。2つの闘いは力強いが、日本の圧倒的な排外主義の中でそれは、在日コリアンが危険な圧力にさらされるということを意味します。これは私達自身が克服しなければいけない課題と鵜飼さんは指摘します。
これから私達はどうするのか?日本人に求めることは何ですかという質問に、金展克さんも金尚均さんも異口同音に「現場に来ること」と答えています。たくさんの人が集まることに計り知れない意味があるというのが、当事者の想いです。

<「カウンター以前」の取り組みから活かすもの>
私達「差別・排外主義に反対する連絡会」(以下、「連絡会」)は、2010年に活動を始めました。今のような街頭でのカウンター行動は誰も展開できていない時期です。その頃の運動をもう一度振り返り、今後に継承するべきものを考えてみました。報告は当連絡会メンバーMYです。
連絡会が始まったきっかけは、2009年蕨市におけるフィリピン人一家嫌がらせ事件でした。レイシストのデモとそれへの抗議。そこから起こるある種の混乱状況の中で地域の運動が停滞していってしまった現実を、私達は重く受け止めました。
この事件をきっかけにして始まった「行動する保守」グループの暴力的な直接行動、攻撃目標とした個人や集会に直接襲撃をかけるというあり方は、当時いろいろな団体に動揺を引き起こします。連絡会にも問い合わせが相次ぎます。連絡会としてはそれを受けて、現場のトラブルへの対処方法を研究するとともに、攻撃の対象にされた集会が平穏に進められる環境を作るために監視・警備をすることをめざしました。ある外国人集住地域の場合は、大使館を含めた関係者が攻撃の拡大を防ぎ事態を鎮静化するために相当努力を積み重ねており、連絡会もそれを支えるために動きました。その地域や個人が繰り返し攻撃を受けることを避けることを第一に考えて、慎重な対応をしたのです。
しかし、2013年の新大久保のように攻撃が反復して継続する場合には、このような行動様式では取り組みが弱くなってしまうことを、今は改めて感じています。
また、新大久保カウンター闘争の盛り上がりを支えたのは、地元商店街の人達が取り組んだ地道な署名活動の取り組みだったのではないかととらえ返しています。レイシストは攻撃目標を絞ると、しつこくやってきます。そうすると「こういうのを認めていいのか」という世論が必ず出てきます。それを強めていって社会的包囲網を多くの人の力で作っていく、それを連絡会はめざしていきます。さまざまな現場に足を運ぶ、さまざまな思いを重ねながら、みんなの知恵を集めて解決していきましょうと結びました。

<ネット右翼と「行動する保守」の土壌>
集会では、2013年の動きの確認だけではなく、それが国家レベルでの中期的な排外主義の変容の中でどのように位置づくのかを明らかにしようとしました。「2000年以降の差別・排外主義の動向とその背景」を当連絡会メンバーFGから問題提起しました。
一つは1995年の河野洋平官房長官談話に反発する形で始まった、「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史修正主義です。「軍隊慰安婦は強制ではない。朝鮮人強制連行はなかった」などと歴史的事実を捻じ曲げる主張を展開し始めました。
もう一つは、1980年代のスパイ防止法制定策動から始まる右翼国民運動の流れです。これが1990年代以降に、「対テロ」の形を取り始めます。1995年地下鉄サリン事件、2000年石原都知事「三国人が暴動を起こす」発言、そして2001年9.11事件によるアメリカの「テロとの戦争宣言」。これが“異端者あぶり出し”の動きを強めました。
この二つが合流した表れが、2008年にノンフィクション作家工藤美代子が大手出版社の雑誌に発表した記事です。そこでは「関東大震災時の朝鮮人虐殺は正しかった」と公然と記述されていました。趣旨は「テロリストになる可能性がある(から虐殺も仕方がない)」というものです。
ネット右翼や「行動する保守」グループは、このような土壌の上で活発になりました。たとえば2004年のイラク人質事件バッシングに見られるような街頭でプラカードを掲げる手法をとって、それまでの街宣右翼や新右翼とは異なるスタイルで登場しました。「新しい歴史教科書をつくる会」以上に、民族排外主義の色が濃厚になっていきます。民族差別の領域だけではありません。社会的弱者が権利を行使することを徹底的にたたきます。それは、生活保護バッシングに見られるように、政治家が先頭を切ってそれを草の根が追っていくという構造にもなっています。
ネット右翼や「行動する保守」グループが跳梁跋扈する歴史的・政治的背景を見ることで、彼らに対してどのようなアプローチをするかを考えていこうと提起しました。

<戦争レイシズム>
コメンテーターの鵜飼哲さんに、4人のパネリストの方のお話のつながりについて、適宜まとめていただきました。
まず、金展克さんと金尚均さんのお話を、私達がどのように受け止めたらいいかについてです。潜在的にあるはずの反レイシズムの世論を顕在化させなければ運動に未来はないが、新大久保カウンター闘争はそれを実現した。大きな一歩と評価しています。それと同時に、この国が戦後一貫して否定してきた朝鮮の人々の民族的教育権を確立する方向性を作っていかなければいけない。京都裁判で勝ち取った成果を発展させるために、私達が真剣に考えるべきポイントだという提起でした。
そして、全体の話を「戦争レイシズム」という視点でまとめました。
「何段階かを経て日本人の精神的再武装が進められている」という海外での論評を紹介されていました。2002年の小泉訪朝から始まった北朝鮮バッシングが、その第1段階。それが安倍政権になって、中国・台湾との領土問題をきっかけにして飛躍的に強化されています。そのような状況の中では、レイシストが新大久保でがなり立てるスローガンは、韓国に対する「戦争宣言」だということ。戦争をするというメッセージでレイシストは街頭に出てきた。そのことを世論に喚起しなければならない。
そして、札付きのレイシストである石原慎太郎が3期にわたって東京都知事を務めているわけです。つまり、東京都民にとってはレイシズムの問題は重要ではなかった。このことの持つ問題を私達は見据えなければならないと訴えました。
「これからテロリストになる可能性」という論理について、これはイスラエルがパレスチナを攻撃する時に使われるものだと指摘します。70年前に日本がやったような侵略戦争だけが戦争の形ではない。イスラエル型の戦争があるのだという指摘です。
「関東大震災からまだ90年」「戦争になって最初に殺されるのは在日」という在日コリアンの言葉を紹介しつつ、在日外国人を徹底的に排除する中で成り立っている戦後のあり方を問い直していこうと結びました。

<未来に向けて>
最後に、未来に向けて2013年の闘いが切り開いた地平について、手前味噌ですが当連絡会メンバーFGの発言を紹介してこの報告を終わります。「今後反ヘイトの闘いを進めていくにあたって、この1年間の闘い、特にカウンター闘争をどのように評価するか」という司会からの問いかけへの発言です。
「活動家だけではなく普通の人が参加して自分の意志でプラカードを掲げたこと、創意工夫した戦術で立ち上がったことがすごいと思う。参加者は延べにしたら大変な人数になっているし、メンバーや戦術は、特定秘密法案反対や沖縄辺野古基地建設反対の闘いにつながっている。それぞれの闘争課題ごとにタコツボ化してしまった現状を食い破るうねりができたことを実感している。人間の尊厳を踏みにじるものに対しては立ち上がらなければいけないという気持が(お互いに)伝わっていく流れができた」。


■Report/ 京都事件判決とこの三年間のあゆみ

2009年4月、埼玉県蕨市在住のフィリピン人一家(娘のみが在留特別許可を得、二日後に両親は出国が決まっていた)をターゲットとしたデモが行われた。ネット上などで人種差別を公然と主張する極右市民グループとその支持者による100名を超える動員だった。
このデモで勢いを得た極右市民グループは、以後集会や三鷹市の従軍慰安婦問題パネル展覧会、朝鮮大学文化祭への襲撃を繰り返した、12月には京都朝鮮第一初級学校を授業中に襲撃し、立て続けに老人ホームへの押しかけが試みられる状況に至った。2010年には関西で続けられていた日本軍性奴隷(いわゆる従軍慰安婦)問題解決を呼びかける水曜デモが妨害を受け、議員事務所の襲撃,徳島県教組事務所襲撃、生駒市議会や中野区議会での騒擾行為,千葉県内の教会への礼拝妨害行為が続いた。2011年1月には水平社博物館前で差別街宣が行われた。
外国人参政権反対や領土問題を掲げた排外デモは最盛期には1,500名以上の参加者を集めた。京都事件と徳島事件で2010年八月に大量逮捕者を出して以降は2010年10月の東京秋葉原の領土問題を掲げ750名を動員したデモ(その後複数の電気店に押しかけ騒擾)を例外とすれば、数十名から200名程度の動員となっている。
2012年6月新宿ニコンプラザでの元日本軍慰安婦の被害女性を取り上げた写真展、続いて開催されたギャラリーでの写真展、関東大震災虐殺被害者追悼集会等への執拗な妨害は依然続いている。
また関東では蕨、池袋、上野、御徒町、川崎、新大久保、関西では鶴橋、ウトロ地区等、外国籍住民の集住地域にターゲットを絞ったデモ・街宣を軸とした執拗な嫌がらせもいまだ重ねられている。
行動する保守を自称する彼らは、ネット上の断片的なデマ情報を都合良く組み合わせ「正義は我にあり」と、現場では文字に起こすのもはばかられる言葉を繰り返し、自らを差別の被害者であると繰り返し、その行動をネットにアップし、被害者を繰り返し傷つけ、更なる動員とメンバーの結束を呼びかけている。

私たち連絡会の現場での活動は、彼らに対する情報の事前の整理と、攻撃対象となった集会や施設等に対する警備協力やデモ・街宣の監視などの『点』の取り組みが中心だった。地域=『面』については、数件の経験のみだった。
最近の地域にターゲットを設定した行動に対して、率直に言って私たちは十分な力量がなかった。また対応如何では現地が聖地化してしまい、騒擾状況が固定化・エスカレートしかねないという懸念を今も抱いている。そのような考えから、地域と関係を作りながら慎重に監視行動を重ねる行動にとどまってしまった。

しかし複数の人権ロビイング団体の尽力により国連人権理事会、人種差別撤廃委員会、社会権規約委員会から対日勧告が続いた。国内でも弁護士会が声明を出し、院内集会も緊急開催された。『しばき隊』『ブラカ隊』(この取り組みは現在C.R.A.Cとなっている)『知らせ隊』等のグループはもとより、極右排外市民団体の蛮行を食い止めようとする心あるたくさんの市民が新大久保の現場に足を運び「NO!」と声をあげ続けた。マスコミの活発な報道や、エリア規制を求める緊急署名の粘り強い活動などが重層的に重なりながら、六月末まで厳しい現場でたくさんの市民が対峙線を引く展開となった。私達連絡会も対峙の仲間に加わりながらビラ情宣などを行い、新大久保の闘いに連なった。

様々な人々の真摯な努力の重なりが結果7月7日には予定された排外デモを中止に追いこんだ。9月8日に再開するなど予断を許さない状況ではあるが新大久保は平常を取り戻しつつある。

極右市民グループの発するメッセージは「怨み」「いいがかり」「深刻な思いこみ」である。そして暴力が伴う。彼らの行為は当事者から言葉を奪い沈黙と絶望を強いる。この前提に立ち、私たち連絡会は攻撃対象とされる当事者と交流を重ね、話に耳を傾け、事情を理解することを大切にしてきた。これからも社会的包囲網の形成に向け丁寧な取り組みを重ねていかなくてはならない。

大阪では7月14日の「なかよくしようぜ!」反レイシズムパレードに600名を超える人々が集い、9月22日の反レイシズムバレード「東京大行進」には3,000人近くの人々。私たち連絡会も参加し、アピールの声に連なった。翌23日の私たち連絡会主催の第3回9・23ACTIONも200人の参加があり、東京・大阪からののべ3,000人もの声が重なり響きあった。この3年間の様々な人々の試行錯誤と闘いの成果だ。
私たちは辛叔玉さんの「のりこえネット」の呼びかけにも注目したい。「東京大行進」の実行委の金展克さん、「のりこえネット」の辛叔玉さんをはじめたくさんの方が9・23 ACTIONの出発前集会でメッセージを寄せて下さった。真摯な気持ちが重なり合う本当に濃密な時間だった。

10月7日11時、京都朝鮮第一初級学校襲撃事件の判決があった。差別・排外主義に反対する連絡会も、これまで裁判傍聴に参加してきた。口頭弁論は気がつくと判決まで19回も重ねられた。この裁判の長く厳しい闘いに連絡会は身の丈に合わせた応援しかできなかった。当時の6年生は高校生になった(そして今度は政府により高校無償化から排除されている)。
そんな私たちを、最初から保護者の皆さん、先生と学校関係者の皆さん、弁護団の皆さん、裁判を支える「こるむ」の皆さん、そして関西のたくさんの仲間が、いつも温かく迎えてくれた。
足を運ぶたびに、京都の皆さんは思い起こすだけでも辛いこの事件で「何が起き何が問われているのか」を粘り強く教えて下さった。いつも温かく包まれ励まされ、少しずつ育てられた日々は私たちの宝物だ。

これからも私たち差別・排外主義に反対する連絡会は、試行錯誤を重ね自らの課題を意識し、研鑽を積んでいかなくてはならない。


■No Pasaran(やつらを通すな)!
交わり高揚する怒りそして闘いへの意志
「許すな!差別・排外主義 9.23 ACTION」報告

「差別・排外主義に反対する連絡会」(以下「連絡会」)は9月23日に、「街頭でのレイシストの憎悪に満ちたコールは言論ではなく暴力である。奴らを社会的に包囲する闘いをともに!」という趣旨で、東京・新宿で200人のデモ行進を行ないました。
さまざまな分野で運動をしている人達が、それぞれのたくさんの仲間と共に参加してくれました。大人数だったのは山谷の日雇い労働者や渋谷の野宿者の人達。また、車椅子の方が遠く茨城から参加された方を含めて3人。白杖の視覚「障害」の方と合わせて「障害」のある人達が多く参加されました。大きなメッセージボードを身につけていたのは、婚外子裁判を闘われている方。地域闘争の旗や労働組合の旗もありました。レイシズムとの闘いは、民族排外主義領域だけの問題ではないという想いを多くの人が持っている表れです。
今年の8月15日、反靖国運動の屋内集会に対して、在特会が隣の部屋を借りて妨害・嫌がらせをしようとしたという報告が、連帯の挨拶の中でありました。「日の丸」を掲げるレイシストにとっては、国家に異議申し立てをする運動はすべて攻撃対象であり、さまざまな領域で闘う人達にとってレイシズムを抑制することが共通の課題になっていることがわかります。
毎年9.23に行なっている連絡会のこのデモは、今年で3年目です。昨年よりひときわ目立ったのが、赤と黒でデザインされたシンプルな何本もの旗。現場カウンター闘争や反レイシズムのいろいろな活動に参加されている個人の方が集まったグループです。前日の9.22、2,000人もの人がデモ行進をした「差別撤廃東京大行進」でもこの旗がたくさん翻っていましたが、その方達がこの日も多く参加してくれました。9.22と9.23は一体のものと多くの人が感じています。「差別撤廃東京大行進」には、連絡会も団体として賛同・参加し、そしてこの日は東京大行進の主催者に参加していただき連帯の挨拶をいただきました。闘いはCrossOverし、そして拡大しています。
今年は昨年までと決定的に違うことが一つあります。東京・新大久保へのレイシストの波状的な攻撃に対して、現場カウンター闘争や各方面の重層的な闘いが組まれ、それによってレイシストの行進を中止に追い込んだことです。反レイシズムの闘いが大きく前進する中で今年の9.23を多くの人と歩けたことは、私達にとっても大きな喜びです。
また連絡会は、在日コリアンを始めとする在日外国人の人達と直接連携して共に課題を解決することをめざしています。その面からも、前日の東京大行進と同じく在日コリアンと共にデモを歩けたことも喜びです。バスの中からデモ行進を見た在日コリアンがわざわざバスを降りてデモに参加したり、交流会では韓国・朝鮮語の会話が飛び交うなど、昨年までは見られない光景でした。そしてそのうちの一人の方からは、「試されているのは(レイシストと闘う)本気度です」という、身の引き締まる檄をいただきました。
なお、デモ出発前の集会では、大阪で反レイシズムの運動を闘う仲間を含む9団体・個人の方から連帯の挨拶をいただきました。

今問われているのは〝本気度〟です。
<在日コリアンからのメッセージ>

9月23日反差別・外国人との連帯行動に参加した皆さまに、敬意と感謝をします。これまで何回かの反差別デモとカウンター行動に参加しましたが、9月23日の行動には初参加です。
私は品川に住む64歳の在日外国人(日本生まれ)です。日頃から在特会の行動には憤りを感じております。特別永住権、朝鮮学校無償化、生活保護の問題等々、どれ一つをとっても在特会の主張に正義はありません。在日を攻撃し、部落差別を煽ることは、日本社会の閉塞性を右から進めることであり、日本の戦後的価値法制は大きな打撃をこうむること必定です。ナチスのユダヤ人商店への襲撃から、15年後にはアウシュビッツが待っていたことは歴史の教訓であり、悲惨な第2次世界大戦へと行き着いたのです。関東大震災の朝鮮人虐殺も、日本のアジア侵略・差別排外主義の突破口であったことは歴史の教訓です。
9月23日の行動に参加された皆さまに、再度心からの敬意と感謝の念を禁じえません。
要するに、在特会のデモを〝本気で止める〟。今問われているのは〝本気度〟です。時代が戦前へと突入する情勢をいくつもの指標が示しています。こうした日本における支配の危機とその顕れである具体的な動きに一つ一つ反撃しないと、歴史の勝者にはなれません。重ねて、試されているのは〝本気度〟です。ありとあらゆる場所で支配層の攻撃に抗して立ち上がることですし、また、立ち上がるでしょう。
過去の闘いに浸っていては、現在・未来に対して裏切り者になるんだということを、私自身の襟を正していかなければならないと思っています。私は反差別・連帯行動の皆さまの運動の中に、〝主体的な運動〟〝自分でものを考える運動〟であることを遅ればせながら実感しました。私もそのように運動し、老骨に鞭打ちながら、皆さまにご迷惑をかけることだけはしないようにと思っています。
これからの運動、ともに頑張りましょう。



■9・23ACTIONでのアピール

「民族差別への抗議行動を知らせ隊」
(メッセージ)
生きる権利に国境はない。私達の社会を、排外主義・レイシズム・植民地主義の軛から解放し、人の住む社会へと変えていく行進を、多くの人と共に歩みましょう。

「差別撤廃東京大行進実行委員会」
昨日の差別撤廃東京大行進、約3,000名の参加で、報道の方でも拾っていただけるということで、周知効果を狙ったデモとしては、ひとまず成功と言ってもいいのかなと思います。
差別撤廃東京大行進は、新大久保のカウンターを中心に盛り上がってきたものです。日本社会には、他にもたくさんのいろいろな差別があります。我々はそんなに広く扱えているわけではないのですが、昨日の大行進とか、広いテーマにいろいろな人が興味を持って考えていってもらえるきっかけになってくれればと考えています。

「高校無償化からの朝鮮学校排除に反対する連絡会」

安倍政権が真っ先にやったことは、朝鮮学校を無償化から排除するという差別的な政策でした。5月17日に国連の社会権規約委員会から日本政府に対して、朝鮮学校を無償化から除外するのは差別である、直ちに適用するべきであるという勧告をもらいました。オモニ会の代表5人と通訳が熱心に国連でロビー活動をやった成果だと思っています。
この勧告を持って、文科省に交渉に行きました。文科省は、国連の勧告には法的な義務はないという返事でした。国連勧告に従う義務なしと閣議決定していますが、これは国際社会ではとても受け入れられない大変な問題だと思っています。私達がいろいろ質問しても、訴訟の場で答えるのでここでは答えないということでした。
7月末に韓国・ソウルで「平和のためのシンポジウム」が行なわれ、そこの日韓過去清算市民報告会に要請を受けて行ってきました。韓国の市民運動では、この問題は「過去清算の問題である」とはっきりと位置付けて運動してくれていることを、大変心強く思って帰ってきました。決議文もいただいてきました。この決議文と韓国から当事者をお招きして、10月4日に文科省前で要請行動を行ないます。
「ワン・イシュー」でやっていると、日本政府や社会を動かすことができないということで、同じように人権規約に勧告されたいろいろな団体と連帯して日本政府や社会を変えていく動きを作りたいということで、運動を立ち上げました。「国連勧告の実現を」「すべての人に人権と尊厳を」ということで、学習会を始めます。朝鮮学校問題と日本軍慰安婦の問題と二本立てで行ないます。
昨日の集会、2,000から3,000ということで、動く人達がいるんだということを希望にして、ここにいる皆さんに私達の運動もいつも守られてきたということに感謝しながら、頑張っていきたいと思っています。

「関西大弾圧救援会・東京の会」
去年の大飯原発再稼働阻止闘争以降、関西で立て続けに大きな弾圧事件がありまして、その中で東京でも反対する運動を作っていこうということで、東京でもグループを立ち上げました。
この2月に反原発運動で弾圧された韓基大さんが、関西慰安婦ネットワークの防衛で在特会とぶつかったという件で、獄中でさらに嫌疑をかけられるという局面も出てきまして、反弾圧運動と反レイシズムの運動が出あい、つながっていくという流れになっています。
「私たちの友人に手を出すな」というスローガンが掲げられていますが、30年ほど前にフランスで反人種差別という運動が出てきた時に、「私の友だちに手を出すな」というスローガンだったんですね。当時フランスではレイシストの暴力が非常に激しくなって、年間約10名の北アフリカ系の移民出身の青年が殺されるという事態にまでなっていました。そのような事態に対して出てきたスローガンだった。
現在われわれがよばれている状況はどうなのか。今年の始めから新大久保にとんでもないプラカードを持ってヘイトを行なう人々が登場してくる。数年前から在特会に対して対抗運動を形成してきたわけですけど、明らかに一線を越えたと社会的に認知される状況が出てきた。あそこで言われていることは実行されていないのか。フランスでは30年前本当の殺人事件が起きてた。日本ではレイシズムによって死んでいる人はいないのか。私はすでに相当数いると思います。原発の事故で何人死んでいるかをわれわれが知らないように、この社会ではすべて曖昧にされている。しかし、レイシズムが激しくなる中でさまざまな形で命を落としている人がいるし、私達の非常に重い歴史的な責任なんだということを確認しなければ、これからの運動は進めていけないだろうと思います。そのような緊張感を持って闘いを進めていきたいと思います。


「日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク」
公園の前にいっぱいいる警察官、100人超えているんじゃないかと思います。慰安婦問題の大阪の水曜デモには、参加者より多い警察官が取り囲んでいる。彼らは、在特会が襲撃してきても私達を守ろうとしない、とんでもない連中なんです。そういうやつらが公園に来ていることが、絶対に許せない。大阪と東京は同じだなあと見ています。
大阪は、日本維新の会の橋本徹が幅を利かせています。あいつは、安倍晋三が言えないことを代行して言っている。在特会も、ナチスのSSと同じ役割をはたしている。安倍政権の中で、社会的に難しい局面に来ています。だから、大阪ではともかく橋本徹と日本維新の会をつぶさないと、大阪はやっていけないんですよ。東京はまだ維新の会が弱いから、皆さん我慢できると思うんですけど、大阪では彼らの力は強いです。そこでどう頑張っていくか。
橋本の慰安婦問題への攻撃がすさまじいんですね。言っちゃいけない、わけのわからないことを平気で言う。それを、取り消しもしないやつです。朝鮮学校への襲撃事件や、水曜デモへの襲撃とか、いろいろな面で在特会との直接的な対峙があります。体を張って頑張っているつもりです。若い人達も参加してくれて、非常にうれしいんです。武装しないと未来はないと思っています。


「ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワーク(のりこえねっと)」

厳しい時代になってこんな日が来るのかという言葉は、在日の先輩から何回も聞きます。その中で、声をあげてくれて「おまえは独りじゃないよ」と言ってくれた皆さんに、深い感謝の思いをこめてお礼を申し上げます。
日本で生まれて育って東京が故郷で、三代続いた江戸っ子です。自分が朝鮮人で生まれたこと、韓国籍であること、それから女であること、全部私にとっては誇りです、一部です。それが一つでも否定されてしまうことは、私の否定になります。私は朝鮮人であることを、とてもうれしく生きてきました。
「(朝鮮人を)殺せ」との言葉が出てくることに対して、言葉にならない思いがあります。また、韓国と日本が戦争になったらどちらにつきますかとか、尖閣列島をどう思いますかとか、質問を受けます。もし日本と朝鮮半島が戦争になったら、一番先に殺されるのは私です。日本にいても殺されるし、北朝鮮にいても殺されるし、韓国にいても殺されます。次に殺されるのは、私と会って話をしているあなたです。だから、憎悪を煽動する行為には徹底して反対なのです。
私は愛国心はありません。民族心もありません。国家に絡めとられる生き方はしたくないと思っています。今回出てきた在特会等には、私と同じ出自の者やマイノリティがいます。(同化というレイシズムを強いられている)私達は右にも左にも行きます。だからこそ、加害者が出てほしくないと思います。
東日本大震災の被災地に行きました。デマが出ました。朝鮮人・韓国人・中国人が、警察官・自衛隊員・消防隊員を殺しているとか、泥棒をしたとか、いろいろなものが出ました。混乱の中であるんだろうなと思いますが、日常の生活の中の手の取り合いの少なさによって、そのようにして恐怖が作られていくんだろうと思います。
その前もありました。今から15年前、日系ブラジル人のエルクラノ君が殺されました。憎悪殺人は、すでにこの社会の中ではあったのです。さらにその前にあったのは、在日朝鮮人に対する関東大震災の時の殺戮です。この時は、朝鮮人も中国人も被差別部落の人も、国家にとってあやしいと思う人達も、みんな殺されていきました。そういうふうにコントロールされて生きていくということを、止めなければなりません。まわりの人達にいっしょに生きていこうと語りかけたいと思います。
ヘイトスピーチをやっている人達と、不愉快でもいっしょにご飯を食べる関係を築いていきたいと思うんです。国際関係というのは、嫌いなやつと一緒に生きていくということです。
エルクラノ君のお母さんが書いた手紙を読ませていただいて、皆さんへのエールと私もこれから頑張りますという思いをお伝えしたいと思います。「(略)息子は日本の少年グループがこれほど悪いことをするとは思い及ばないまま、理由もなく命を奪われました。(略)勉強を再開するためにブラジルに帰国したいが、日本はとても安全だし、とても好きな国なので、もう一度戻って来たいとその時話していました。(略)息子はナイフで刺され乱暴に叩きのめされ、内臓がズタズタで瀕死の状態でした。そして、最後の力をふりしぼって『なぜ自分がこんな目に遭うのかわからないけれど、親を悲しませるようなことだけはしていない』と言い残して、別れを告げました。息子の身の上に起こったことは、再度繰り返してはなりません。(略)世界中どこであっても暴力行為が存在するということ、ブラジル人だけではなくあらゆる国籍の子に知ってほしいと願っています。(略)みんなで暴力にNOと言う、子ども達が暴力も不正もない暮らしを送れる良い世の中を作っていきましょう。(略)来日された皆さんには、私達の最高の宝物である子ども達を大切にしてほしいと思います。世の中で起こっている事柄に対し、腕を組んで、遠目に見ているばかりでなく、多くの愛と勇気を持って良い世界を作っていくことで、みんなで一緒に考え団結するよう呼びかけたいと思います。(略)」
加害者を出さない、被害者にもならない、加害者と被害者が出てしまったら、きちんとした第三者として再発防止をするよう、ちゃんとした大人になっていきたいと思います。

「反天皇制運動連絡会」
今年の8月15日は、私達が集会をやっている会場のすぐ隣の部屋を在特会が借りるということもありました。たくさんの方の協力を得て、集会とデモを貫徹することができました。
私達の行動も在特会や街宣右翼から排外主義的な攻撃を受ける関係にありますけど、私達は靖国周辺で生活しているわけでもなく、当日デモに行くというだけです。そういう意味では、そこで生活している人達が受ける排外主義の暴力や被害は比べものにならない。
右翼の暴力の中身が何かということです。8.15に靖国周辺でデモしているのは朝鮮人だと、彼らは言います。どういうことかと言うと、8月15日というのは、かつてはたくさんの団体が集会やデモをやった。靖国問題に関しても批判的な意見・報道があった。日本社会の中で靖国とか天皇制は、分裂した問題であると思います。
けれども彼らにとっては、そうではない。意見の相違は存在しない。天皇制・靖国の問題に関しては、日本人には意見の相違はないんだ、だからそこで異議を唱えている人間は朝鮮人であるという言い方をするんだと思います。天皇制はそのように作用している。
9月28日に、東京国体の開会式が行なわれます。この開会式は天皇のイベントです。日の丸が上がって君が代を歌って、天皇に向かってみんなが行進して行く儀式があります。暴力的な天皇制の表れとはかなり違う、文化支配的なソフトな形でイベントを通じて行なわれている天皇制に対して反対していきます。

「日韓民衆連帯全国ネットワーク」
朝鮮半島における3.1独立運動の時、毎年3月1日に集会をやっているんですけど、2年前に、在特会が150人くらい押しかけてきて、罵声を浴びせて中に入ろうとするということがありました。実際に1縲・人入って騒ごうとしたんですけど、挑発には断固として対応して集会を貫徹したということがあります。その次にも100名くらい来て妨害行動を行ないました。
今年は、どういうわけだか来なかったのですが、それは連続的な断固とした闘いが、在特会のような集会破壊を防ぐ一つの力になったと思います。そしてまた、多くの皆さんが関心を持ち集会を防衛してくれるという、横に広がる連帯が差別・排外主義に対する闘いに大きな力を発揮するんだなあと改めて感じました。
皆さんと共に、差別・排外主義に対して闘っていきたいと思います。共に頑張りましょう。
(写真提供:Mkimpoさん)


■差別・排外主義に反対する連絡会 主な活動経過抜粋(2013年縲・014.01現在)

<連絡会主催の活動>

2013.01.26
差別・排外主義にNO!1.26講演集会「<バッシング>と差別・排外主義を考える」 (90名)  講演:森達也監督

2013.05.05
新大久保商店街ビラ入れ&駅頭情宣

2013.07.07
新大久保商店街ビラ入れ&駅頭情宣(在特会デモ中止)

2013.09.23
許すな差別・排外主義 9・23ACTION (200名)

2013.12.08
差別・排外主義にNO!12.8討論集会
「2013 新大久保-京都判決をふり返って-何が起きているのか?」 (70名)

<監視・カウンター活動>

2013.05.12
「反日極左と不逞外国人から川崎を護るデモ」

2013.05.19
「通名制度の悪用をなくせ!デモin新大久保」(ビラまき)

2013.06.16
新大久保排外デモ(ビラまき)
4名逮捕弾圧(カウンター側:2名、主催側:2名)

2013.06.29
新大久保排外デモ

2013.06.30
新宿排外デモ(ビラまき)

2013.07.28
「反日極左と不逞外国人から川崎を護るデモ」

2013.09.08
新大久保排外デモ(ビラまき)

2013.10.05
秋葉原排外デモ

2013.10.12
川崎排外デモ

2014.01.18
六本木排外デモ

2014.01.19
西川口・蕨排外デモ

<防衛活動>

2013.03.02
「3.1朝鮮独立運動94周年  安倍・朴政権の登場と私たち」

2013.03.03
マーチ・イン・マーチ2013

2013.03.31
「朝鮮学校外しにNO!全国集会」(日比谷野音)

2013.05.05
「ぬちがふう」上映会(中野ゼロ)

2013.07.28
第20回統一マダン東京(集会)

2013.08.10
平和の灯を!ヤスクニの闇へ2013キャンドル行動集会 「国防軍の名の下ふたたび英霊をつくるのか」

2013.08.15
反「靖国」デモ縲怎сXクニいらない!天皇制いらない!

2013.08.11
国際シンポジウム 「日本軍『慰安婦』メモリアル・デーを国連記念日に」

2013.09.07
関東大震災90周年 韓国・朝鮮人犠牲者追悼式とほうせんかの夕べ

2013.12.13
強制連行3企業責任追及行動

2013.12.14
国連人権勧告の実現を!集会(明大リバティタワー)

2013.12.18 縲・6
安世鴻写真展(江古田)

2014.01.11
吉見裁判支援集会

<連帯共闘>

2013.03.13
京都朝鮮第一初級学校街宣名誉毀損裁判傍聴 【第1回から判決まで、17回傍聴】

2013.03.14
排外・人種侮蔑デモに抗議する院内集会

2013.05.03
野宿者-持たざる者のメーデー

2013.05.07
差別主義者・排外主義者によるデモに抗議する第2回国会集会

2013.09.05
なんぶ反弾圧学習会「差別・排外主義との闘いと反弾圧闘争」(講演)

2013.09.14
全都反弾圧闘争

2013.09.22
「差別撤廃東京大行進」

2013.11.03
「持たざるもの」の国際連帯行動

2013.11.24
「関東大震災の朝鮮人・中国人虐殺の現場を歩く」ツアー

2014.01.13
日雇全協集会(山谷)


■在特会らによる朝鮮学校襲撃事件に対する第1回控訴審裁判の報告

2014年3月25日、大阪高裁において京都朝鮮学校襲撃事件に対する第1回控訴審公判(森宏司裁判長)が行われました。傍聴のため私たち差別・排外主義に反対する連絡会からも3名が大阪入りしました。

1、控訴審に至る経緯
この事件は2009年12月4日に在特会等のメンバーが京都朝鮮第一初級学校に押しかけ、差別をあらわにした罵詈雑言を浴びせ続け、子どもたちを恐怖に陥れたものです。こうした蛮行は一度ならず三度に渡って行われたのです。
2010年8月10日、威力業務妨害と器物損壊などの容疑で4人が逮捕されました。2011年4月21日には4名に対し京都地裁は懲役1縲・年、執行猶予4年の有罪判決を下しました。
一方、上記の刑事裁判とは別に前記学校を運営する京都朝鮮学園は在特会とその関係者8名に計3,000万円の損害賠償と学校周辺での街宣差し止めを請求する民事訴訟を起こしました。18回に及ぶ公判を経て2013年10月7日に判決が言い渡されました。
判決は総額で1,200万円を超える多額の賠償と学校周辺での街宣禁止を命じたのです。
この判決の根拠になっているのが、人種差別撤廃条約でした。もちろん、この条約は肝心の第4条部分(「人種的優越又は憎悪に基づくあらゆる思想の流布」、「人種差別の扇動」等につき、処罰立法措置をとることを義務づけるもの)がこの国では留保されていているのですが、しかし判決は敢えてこの条約に依拠することで、被告人らの一連の言動を明らかな人種差別と認めたのでした。そしてその責任の重大さを多額の賠償金に置き換えたものでした。
つまり、判決は被告人らの言動が明らかな人種差別であると断罪したのです。この国では数少ない判決の一つではないでしょうか。
しかし、一方で原告側が繰り返し主張した民族教育の重要性とその権利については全く触れられていませんでした。人種差別の悪質性を厳しく断罪する一方で、それと表裏一体の関係にある「民族教育権」への言及は何もなかったのです。その意味では残念な判決と言わざるを得ません。
しかし、この判決を不服とした在特会等被告側は大阪高裁に控訴したのでした。その第1回目の公判が3月25日に行われたのです。

2、入廷前の状況
傍聴券の交付は控訴人側(在特会等)と今回の被控訴人である学校側とが互いに隔離されるような形で分けられ、それぞれの場所で抽選が行なわれました。混乱を避けるためとの理由だそうです。私たち差別・排外主義に反対する連絡会のメンバー3人も警戒態勢で入廷を待ちました。
(学校側に集まった)傍聴希望者は何と170名に及びました。在特会側も10人位が傍聴に来たようです。ただ、一般傍聴席は78人分しかありませんでしたので、半数以上の方が法廷外で待たされることになりました。幸い私は籤運に恵まれ、法廷に入ることができましたのでその報告をすることにしました。
先にも述べましたように一般傍聴席は78名で満杯のはずでしたが、4縲・席程の空がありました。怪訝に思うのですが、抽選に当たっても入廷しないという人はこちら側にはいないはずです。一方、控訴人は2名しか出席していませんでした(控訴したのは在特会と7名の個人)。

3、裁判の状況
裁判は11時ちょうどに始められ、先ず裁判長がそれぞれの主張が裁判所に届いていることを述べ、各10分ずつ口頭で陳述するよう促しました。最初は控訴人側(在特会らの代理人)がその控訴理由を述べましたが、10分をオーバーし13分に及びました。バランスを取るため、裁判長は被控訴人側も13分に延長するとしました。被控訴人側は1審の原告であった京都朝鮮学校の理事長が陳述し、裁判所は偏見を持つことなく1審判決を維持してほしいと結びました。
その後控訴人側からは審議を尽くすため再度の弁論(学校側への反論)をしたい旨申し入れがあったものの、裁判長は既に議論は尽くされているとしてそれを却下し、結審としました。次回公判を7月8日とし、この期日が判決公判になります。
以上、約30分で第1回口頭弁論は終了し、この公判が結審となりました。

4、控訴人側(在特会等の代理人)の控訴理由の陳述概要
控訴人側の原告は2名出席していたが、陳述は代理人(弁護人)が行ないました。その陳述内容は以下のようでした(メモが追いつかず字面は正確とは言い難いが、発言の趣旨は間違いないと思います)。
原判決は画期的と一部ではもてはやされているが、それは人種差別撤廃条約に基づいたもので立法以前に裁判所が先取りするのは違法である。高額の賠償は、懲罰的賠償で裁判所の権限を逸脱したものと批判しました。
またその言動は「ヤンキ―・ゴ―ホーム」と同じで、理由なく初級学校を攻撃したわけではない。周囲の住民のために立ち上がらねばならなかった。差別目的をもって表現の価値を無視すべきではない、とよく意味が分からない、転倒した主張のようにも思われました。
朝鮮学校と総連の関係については密接な関係があり、その背後には北朝鮮という巨大な組織がある、だからその言論は単なる人種差別とは言えない、表現の自由の範疇にある、などと延々と述べるのでした。
そしてそれらのことを正当化するため尖閣問題や北朝鮮の問題そしてかつて韓流がもてはやされたことなどを持ち出した上に、在特会らが発したヘイトスピーチの罵詈雑言をそのまま引用するなど、信じられない言動が飛び出し、傍聴席からは怒りの声もあげられました。
控訴人のこのような陳述で、法廷には異様な空気が流れたように思われました。そもそも原判決は「ヘイトスピーチは差別である」と厳しく断罪したはずです。にもかかわらず、それらの差別的発言をそのまま使い、それらを公正な言論などと言い得る弁護人がどこにいるでしょうか。弁護人自身がヘイトスピーチの拡散者になろうとは、誠に恐れ入ったものです。

5、被控訴人側(学校側)の控訴答弁書の陳述
被控訴人側からは京都朝鮮学園の孫理事長が答弁書の陳述を行ないました。
京都地裁の判決が出て、子どもたちは安堵している。攻撃を受けた時、感情的になってはいけないと事前に打ち合わせをしていたが、警察が到着したときはホッとした。しかし、警察は彼らを制止することはなかった。言葉の暴力について法的な処置も期待したが裏切られた。4年前に京都地裁の判決があったなら、そのようなことはなかったと思う。
幼い子どもたちがまたこのような危険にさらされるのではないか等々、刑事告訴を決意したしたことへの苦しい経緯を理事長は述べました。法的手続きが更に子どもたちを継続的に傷つけることになるとは思ったが、刑事告訴することを決意した、と。私たちが泣き寝入りすれば、子どもたちにも将来に禍根を残すことになる。
差別がどれだけ子どもたちを傷つけたかを知ってほしい。京都地裁の判決が(当時に遡って)警察にも伝わっていたなら、あのようなことにはならなかったはずだ。
今回の京都地裁そしてこれから出されるであろう大阪高裁の判決が大きな意味をもつはず。だから、裁判所は偏見を持つことなく、「日本社会は人種差別を許さない毅然とした姿勢を取っていく」と教えられる第一歩となる京都地裁の判決を維持してほしい、と孫理事長は陳述しました。

6、裁判報告集会
裁判終了後は傍聴できた人も抽選に外れ傍聴できなかった人も、共に裁判所を後にし、10分ほど歩いた所にある「エル・おおさか」に集まりました。ここにも多くの人が集まり、報告集会が行われました。
最初に、昨年10月7日の京都地裁判決を元にして編集されたDVDが上映されました。その後、弁護団から今日の裁判の手順や双方の陳述の内容などが一通り紹介されました。会場からの質問にも丁寧に答えてくれました。
引き続き、現校長の挨拶や徳島教組襲撃事件の当事者の方等からの報告などもありましたが、皆さん昼食もまだでしたので、集会は13時半に終了しました。

7、裁判を傍聴して
昨年10月7日に行われた京都地裁の判決公判の傍聴報告で私は以下のような報告をしました。
「子どもたちの心に深いキズを負わせ、その保護者にも絶望的なほどの悲しみとやるせない憤りをもたらしたこの襲撃事件は、多額の賠償金という形で締め括られました。しかし、その高額な賠償額の意味するものは何なのか、被告人らがその本質を理解したとは到底思えない。物事の本質を彼らが理解しえない、あるいは理解しようとしない土壌がこの国には蔓延しているからでしょうか。そのような根は確かにこの社会に今までもなかったわけではない、しかし戦後70年近く経った今、私たちの日常生活を脅かすほどに公然化したことに言い知れぬ恐怖を感じざるを得ないのは、果たして私だけでしょうか。
この判決がただ単に『臭いものにふた』になってしまわないことを願いたい、逆にこの判決がそうした風潮を一掃しうる第一歩になって欲しいと心から望むものです」と書きましたが、その思いは控訴審になっても変わりません。
ただ、控訴人の控訴理由を傍聴席で聞いていた私は言いようのない無力感にとらわれました。京都地裁の判決が厳しく罰したことの本質を理解するどころか、あくまでも自らのヘイトスピーチや差別偏見を正当化することに腐心するその浅ましさに、何とも言葉がありませんでした。

2014年3月27日
差別・排外主義に反対する連絡会K

<「人種差別認定は適正」朝鮮学校側主張し結審 京都新聞 3月25日>
 「在日特権を許さない市民の会」(在特会)などが京都市内の朝鮮学校に行った「ヘイトスピーチ」の街頭宣伝の違法性が争われた訴訟の控訴審第1回口頭弁論が25日、大阪高裁(森宏司裁判長)であった。一審京都地裁判決は人種差別行為と認定し高額賠償を命じており、控訴した在特会側は人種差別撤廃条約を適用した点などを不当として原判決の破棄を求めた。学校側は「人種差別から人格的価値を保護しようとする判断で適正」と主張し、結審した。判決は7月8日。
 地裁判決によると在特会などは2009年12月、南区の京都朝鮮第一初級学校(当時)に押しかけ、約50分間、「犯罪者に教育された子ども」「ぶっ壊せ」「端のほう歩いとったらええ」と拡声器でシュプレヒコールを上げ、映像をネット上で公開するなどした。
 同会側は控訴理由書で、判決が人種差別撤廃条約に基づき学校側の損害を高額評価した点を「懲罰的賠償で裁判所の権限の逸脱」と指摘。「人種差別撤廃の政策目的について立法を待たずに裁判所が先取りすることは認められない」と批判した。弁論で代理人は同会の主張が「不当な逆差別の解消を訴える公正な政治的言論」と述べ、「表現の自由」の範囲にあり、人種差別に該当しないとする見解を示した。
 一方、学校を運営する京都朝鮮学園(右京区)は答弁書で、原判決を「行為の悪質性や甚大な被害の事実関係に基づいて賠償額を算定しており、極めて妥当」と支持。同条約は裁判所に直接的に救済措置を求めており、原判決の法解釈は表現の自由に抵触せず、正当な言論の萎縮にはつながらないと主張した。同学園の孫智正理事長(57)が意見陳述し「『日本社会は人種差別を許さない毅然(きぜん)とした姿勢をとっていく』と教えられる第一歩となる地裁判決を維持してほしい」と述べた。

<裏表紙>
中央に「NO RACISM!  NO DISCRIMINATION!」の連絡会 円マーク

 外国人排斥を叫び、差別・排外を煽る言説と運動が、やむことなく続いている。その先頭に立つのが「在特会」をはじめとする「行動する保守」を自称する人々だ。マイノリティの「特権」「優遇」をことさらに強調することで、対象を攻撃・バッシングする卑劣な手口がなぜ横行するのか。
 それは社会的弱者を踏みつけ、差別と不公正・不平等がまかり通る日本社会の構造が根底にあるためだ。
 人々の内心に潜む劣情を刺激しながら、闇と絶望と憎悪を増殖させるグロテスクな情動を見逃してはならない。迫害される当事者と結び、社会的包囲網をつくって、この根っこを断ち切り、一切の排除・排外・差別を許さない闘いにともに立ち上がろう。
生きる権利に国境はない!
私たちの仲間に手を出すな!

発行日:2014年4月13日
発 行:差別・排外主義に反対する連絡会
東京都港区新橋2丁目8竏・6
救援連絡センター気付
http://noracismnodiscrimination.blogspot.jp/
Email;hannhaigaisyugi@gmail.com